レースで勝利した名機を搭載してもオイルショックには勝てず
エンジンは日産珠玉のDOHC、S20をそのまま引き継ぎ搭載。1973年の東京モーターショーには、そのレーシングバージョンも参考出展されていたが、その年の9月、リーマンショックやバブル崩壊以上の衝撃で、第一次オイルショックに見舞われる。ガソリンスタンドは土日営業停止となり、マイカー運転自粛の“ステイホーム”が始まる。
ガス喰い虫で、排気ガスのクリーンさとも無縁、昭和48年排出ガス規制をクリアできる見込みもないS20エンジンを作り続ける大義名分はなく、憐れなKPGC110は、1973年の1月にデビューしたものの4月には生産終了……。生産台数197台、生産期間4カ月の短命で終わってしまった。
日産でも、排ガス規制はある程度覚悟していて、ケンメリGT-RはS20エンジンの在庫限り、と計算していた節はあるが、排ガス規制+オイルショックのダブルパンチまでは予測していなかったはず。
ワークスカーのようなワイルドな金網タイプの専用ラジエターグリル、ビス止めの前後オーバーフェンダー、リヤスポイラー……で、カッコはメチャクチャよかったケンメリGT-R。当時の新車価格は、クラウンの上級モデルもビックリの160万円。レースでハコスカの連勝記録にストップをかけた、GT-Rの天敵、マツダ サバンナGT(RX-3)が、81万円なので、お値段およそ2倍。
憧れた人は多かったが、おいそれと手が出る価格ではなく、しかもハコスカGT-Rよりも車重が45㎏も重かった。いくら当時の高性能といっても、160馬力のS20エンジンのまま45㎏も重くなったら、そのパフォーマンスは容易に察しが付くはず。
結局レースに出場することもなかったが、スカイラインファンにとっては特別な一台であることには変わりなく、いまでも人気は衰えない。その希少性から、中古車市場に出てくることも非常に稀で、出てきてもほとんどが価格応談。取引価格は1000万円級になってしまうが、投機や転売の対象にならず、本当に好きな人が所有して、いつまでも走らせ続けてほしいものだ。