クルマが登場する前の馬の乗り方が通行帯区分のきっかけか
右側通行と左側通行に世界が二分されたのはなぜか?。その答えは、いろいろな説が世に出まわっており、はっきりとはわからない。
ひとつのきっかけとなるのは、馬や馬車の扱いではないかと思う。馬は、人間の家畜となって4000~5000年の歴史を重ねており、移動はもちろん荷役や耕作の動力、あるいは戦争などで永年使われてきた動物だ。そして馬術においては、馬を曳く際は左前に立って人が歩く。乗り降りは、馬体の左側から行う。すれ違う際には、左側に避けるという決まりになっている。クルマの交通ほど厳密ではないが、あえていえば左側通行になる。
一方、馬や馬車の時代でも、右側を通行する例があった。為政者や宗教指導者たちが、その時代の事情や思惑で、右側を通行するよう指示したという話がある。いまでは想像がつきにくいかもしれないが、かつての宗教指導者の地位は高かった。
また、馬や馬車が左側を通行する習慣があったとき、フランスのナポレオンは相手の裏をかく作戦で右側を行軍させたとの説もある。そして、英国、ロシア、オスマン帝国(トルコや中東、北アフリカなどを含む大国)を除いた欧州をナポレオンが制覇したことにより、右側通行が広まったというのである。