往年の名レーサーも若かりし頃はヤンチャだった
毎年6月になると気持ちが落ち着かない。何故なら6月中旬はモナコGP、インディ500と並び世界3大レースとして並び称される「ル・マン24時間レース」が開催される時期だからだ。僕自身このル・マンには過去3度挑戦した。残念ながら1度も完走を果たせず、心残りのレースとなってしまうことが多かったこともあり、例年レースの成り行きを注視し楽しみにもしているのだ。
残念なことに今年は新型コロナウィルスの世界的パンデミックの影響で「第88回」となる同大会は9月以降に延期されることが決定している。そこで今回はこれまでのル・マン24時間レースで総合優勝を果たしたドライバー達のなかで、一風変わったトリオをご紹介したい。
ル・マンは通常2名〜3名のドライバーが1台をシェアして闘う。競争が激化しスプリントレース並みのハイペースで競われる近年は、3人のドライバーでトリオを組むチームが大多数となった。
1991年の第59回大会。総合優勝を果たしたのは、その年が最後のル・マン挑戦となる日本のマツダチームだった。その年、マツダが誇る4ローターのロータリーエンジンを搭載したマツダ787Bを総合優勝へと導いたのは、ジョニー・ハーバート(英)、ベルトラン・ガショー(仏)、フォルカー・ワイドラー(独)という顔ぶれだ。この3人、じつは日本でのレース経験も豊富で1990年の国内レースを荒し回っていたのだが、僕の目にはまさに「悪ガキ」に映っていた。
まずジョニー・ハーバート。彼と初めて会ったのは1987年、マカオGPのF3世界一決定戦のスターティンググリッドだった。その年イギリスF3のチャンピオンとしてマカオに乗り込んできたジョニーは、優勝最有力候補として大注目されコース上でのスタートセレモニー中もTVやメディアのインタビューを受けていた。
いよいよスタート進行で各ドライバーがマシンに乗り込む段階になると、ジョニーはガードレールの方に小走りで走っていった。どこに行くのだろうと見ていると、何と彼はコース上の脇で立ち小便(!)をしたのだ。見るからに童顔な顔立ちだったが、なんという小僧だと思ったものだ。しかし、スタートしてからのジョニーの走りはじつにキレていて、マカオのコースの難しい山側をまるでゴーカートを振り回すようにドリフトさせ、ガードレールにホイールを当てて火花を飛ばしながら駆け抜けていった。
スタートの混乱で彼の前を走っていた僕だが、その彼に抜かれ後ろから走りを見て大いに感化された。彼の走りを真似てリヤブレーキ走法に切り替えたら、一気にタイムが2秒も短縮されたのだった。
そんなヤンチャ小僧だった彼が、今ではF1のドライビングマナーアドバイザーを務めることもあるというから驚きだ。