残るふたりもなかなかの破天荒ぶりを披露
次なる「悪ガキ」ドライバーはベルトラン・ガショーだ。じつはガショーも1987年のマカオGPに参戦しているが、僕が知り合ったのは1991年の全日本プロトタイプカー(グループC)選手権でのことだった。ル・マンで総合優勝し富士スピードウェイでの同レースに、マツダ787Bで凱旋参加していたガショー/ハーバート組に対して僕はフォルカー・ワイドラーと組んでフロムエー日産R90CKで参戦していた。
ともに上位を争いガショー組は4位に、僕らは6位でフィニッシュしたのだが、チェッカー後のウイニングラップ中、なんと彼はマシンの横っ腹に体当たりしてきたのだ。トラブルでピットインが長引き周回遅れとなっていた僕らは最終ラップにガショーを追い抜いた。それでも順位は変わらないのだが、彼は順位を奪われたと勘違いしたのかもしれない。せっかく無傷でゴールしたマシンにゴール後わざとぶつけてくるなんて、なんという「悪ガキ!」だと当時憤慨したものだ。
そして最後はフォルカー・ワイドラー。正直、彼はとてもいい青年だった。優しく、穏やかで人なつこい。だがレースになるとアグレッシブになる。それはレーシングドライバーなら当然のことだ。
フォルカーは僕といるときはつねにいいやつだったが、ル・マンで優勝したあとジョニーやガショーと日本でつるむようになると「悪ガキ」ぶりを発揮しだした。あるレース開催日の朝。同じホテルに宿泊していた僕らは朝6時にはホテルを出ないと交通渋滞で遅刻してしまう。僕が6時ちょうどにホテルを出ようとしているとフォルカー達が部屋から降りて来て、これから朝食を食べるという。おいおい、そんなことしていたら間に合わないぞと注意すると「僕らにはガイジンロードという特別な道があるから大丈夫」というのだ。
僕は先にサーキットへ向かい、指定場所に駐車してドライバーズブリーフィング会場に歩いて向かうと、なんとすでにフォルカー達は会場に着いているではないか!「いったいどこを走ってきたんだ?」と問いかけると「渋滞していても道路の右側はがら空きだろ。そこを走って来たんだ。欧州では右側通行だからガイジン専用さ」だと。
本当にそのように走ってきたか真偽の程はわからないが、もし事実だとしたら日本ではそれは違反だし事故を起こしたらどうするんだ! と叱責したが、彼らは「プロレーサーだから大丈夫、大丈夫」と聞く耳をもたなかった。フォルカーはその後ロータリーの爆音で本当に耳を悪くし、レースから引退してしまった。
ル・マンの季節になると、いつもこの愛すべき「悪ガキ」レーサートリオを思い起こすのだ。