過去のセールスマンの売り方は現在とはまったく違う手法だった
日本が本格的なクルマ社会を迎えた60年代に入ると、新車の販売先もそれまでの企業などの組織単位に加え、一般消費者が目立ってきた。モータリゼーションとも呼ばれたその時代の販売スタイルは訪問販売がメインであった。
わかりやすくいえば、闇雲に一軒一軒住宅を訪れて「新車はどうですか?」とセールスマンが売り歩いていたのである。このような飛び込み営業は当時でもけっして効率の良い営業方法ではないが、経験の浅いセールスマンにとっては、どんな家が新車を買ってもらえるか、営業をかける時間帯など、経験を積むことで自分なりの売り方を確立していくことができた。ベテランセールスマンになれば、新車を売ったお客から新たに新車の欲しいお客を紹介してもらえる紹介販売が徐々に販売のメインになってくるが、そんななかで調子が悪い時には、飛び込み営業で初心に戻るといったことも珍しくなかったようだ。
日本がバブル経済と呼ばれた80年代後半から90年代前半になると、新車がまさに爆発的に売れるようになった。とにかく店を開けていれば新車が欲しいというお客が詰めかけたのである。ただしその時点でも店舗外での外売りがメインであったので、店頭にセールスマンがいることがほとんどなかった。そこで店舗にもセールスマンがいるようにしたほうがいいとして、当時の新人セールスマンを中心に店頭販売というスタイルが定着してきた。
新規で来店し応対したお客から、住所などを聞き出し、店頭で接客したあと、“いけそうだ”と判断したお客の自宅訪問などでアフターフォローして受注へ持っていくスタイルであった。新規で来店し、そのまま契約となるケースもあったが、そのような契約は、“店パク(店頭でパクっと)契約”として、販売実績カウントしないディーラーもあるほどセールスマンの間ではある意味軽蔑されていた。さすがに飛び込み営業はなくなりつつあったのだが、店頭で待っているだけでなく、積極的に外へ出て売るスタイルが主流であった。
当時を知る事情通は、「昼間店頭で応対し、『これはいける』と判断したお客の家へ、夜間訪問としてアポなしで自宅へ出かけます。言葉では『困ったなあ』といわれますが、ここで中へ入れてもらえれば、条件次第でほぼ契約がもらえます。昼間の時点で住所や連絡先などを聞き出すことができれば、その時点でかなり有望なお客様と判断していたようです」。
なかには、名前や住所などを聞き出せなくても、乗ってきたクルマのナンバープレートから住所などを割り出し、そのお客の家へアポなしで乗り込むといった強者もいたと聞く。もちろん、そんなことをしても怒りそうもないお客を選んで実施しているのだが、たいがいは「よくわかったねえ」などと好意的な言葉をかけられ、契約となっていたようだ。