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新型カローラへの賛辞と課題! 歴代を知るレーシングドライバーが「満点」へあと一歩と語る理由とは (1/2ページ)

新型カローラへの賛辞と課題! 歴代を知るレーシングドライバーが「満点」へあと一歩と語る理由とは

いつの時代も親しみと信頼を感じてきたクルマ

 トヨタ自動車のカローラが新型となって国内販売を開始した。その試乗会で開発担当エンジニアやテストドライバーから興味深い話をいろいろ伺ってきたのでリポートしておきたい。

「カローラ」は私「中谷家」にとっても縁があるモデルだ。中谷家にとって最初のクルマは観音開きドアが特徴だった「クラウン」だ。「いつかはクラウン」ではなく「最初っからクラウン」だったわけだ。

 その次は「トヨペット・コロナ」、次に初代マツダ「ファミリア」を挟み、次にやってきたのは2代目カローラだった。1970年のことだ。家内が最初に買ったクルマも3代目カローラ。兄が初めて購入したのは3代目カローラ・レビン。そしてアメリカに留学した自分の娘に買い与えたのも北米・カローラだった。そんなわけでカローラにはいつの時代も親しみと信頼を感じてきていて、世界のどこでも信頼できるクルマとしてボクのなかでは確立されている信頼のブランドなのだ。

 自動車雑誌の編集部の仕事に関わるようになったころの1983年に登場した5代目カローラは、イタルデザインのジウジアーロが手がけたと言われスタイリッシュでカッコもよく、6代目カローラはバブル期と重なり「ミニ・セルシオ」と呼ばれるほど豪華で素晴らしい仕上がりだった。ちょうどレースの遠征で日本各地を転戦していたころで、移動用に借りるレンタカーはカローラをつねに指名。扱いやすい取り回し性と実用性の高い室内装備、室内やトランクの広さなど文句なく走りも良かった。

 1989年は日本カーオブザイヤーの選考委員を受任した年でもあり、次のカローラには満点を配点したいと考えていたほどカローラを支持していた。しかし、1989年のカーオブザイヤーには革命的な「セルシオ」が選出され、以後は存在感を確立したカローラは評価されて当然の立ち位置となり、なかなか満点を配点するに相応しいと思える輝きを放つモデルが登場しなくなって久しかった。

 近年、日本国内では「カローラ・フィールダー」「カローラ・アクシオ」が10代目カローラとしての地位を守ってきていたが、じつは欧州、北米、中国、東南アジアに向けては11代目カローラが登場していて、このモデルのデザイン性が高く世界各地で極めて好評を博していた。娘に買い与えたのもこの北米・カローラ。2015年には世界でもっとも売れているクルマとしてカウントされていたはずだ。

 だが本家の日本国内では販売されていなかった。オーリスをベースとした1780mmの3ナンバー車幅が不適格と判断されたのか、価格的なポジションが上がるのをためらったのか定かではないが、スタイリッシュなデザインは好評で国内からも導入を求める声が高まったのは間違いない。トヨタがお台場で運営しているメガウェブに長い期間北米カローラが展示され、人々の感心を集めていたのを知っている。

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