新たな市場を開拓した小型車も存在
4)日産スカイラインGT-R(BNR32・1989年)
20世紀に生まれた国産車のなかで絶対に忘れてはいけないといえるのが、第二世代のスカイラインGT-R。そのファーストモデルといえるBNR32型は、最初に名エンジン「RB26DETT」を搭載、トルクスプリット型4WDと組み合わせたという点からも今後も記憶されるべき名車の一台といえる。
BNR32以前の日本車(市販車)というのはコンペティションとして世界の強豪と対等に戦うことは難しいとあきらめの境地で見る存在だったが、BNR32の登場とその活躍は市販車改造のモータースポーツにおいて日本車が世界をリードできると実感させるに十分だった。
また、同じく1989年にはトヨタがセルシオ(初代レクサスLS)を発売、欧州メーカーを驚かせたことも記憶に残る。まさに世界に追いついたと誰もが感じたターニングポイント「1989年」を象徴するのが、このスカイラインGT-Rなのである。
5)スズキ・ワゴンR(1993年)
20世紀の自動車史を振り返ったときに、何重にもマーカーで印をつけたくなるのがこのクルマ。スズキの初代ワゴンRだ。
デビュー時には左右非対称の1・2ドアのボディなどニッチ向けのモデルという売り出し方だったが、プレーンなルックスのハイトワゴンという新提案は市場を大きく動かし、その販売台数はうなぎ登り。軽自動車のトップシェアを奪うまでに至る。
その後、ダイハツがタントをデビューさせスーパーハイトワゴンという新ジャンルを示すまで、軽自動車=ハイトワゴンという認識を強めたのがワゴンRというモデルだった。
またワゴンRのヒットは軽自動車という限られた市場内での話ではなく、その存在によって軽自動車マーケット自体を拡大する原動力にもなった。このクルマの存在なくして、今に至る軽自動車カテゴリーの隆盛はなかっただろう。
番外編)20世紀、もっとも危険を感じたクルマとは……
21世紀は電子制御が進化、スリリングであることがスポーティという認識を有しているユーザーはほとんどいないだろうが、20世紀のクルマづくりではスポーツ性を極めようとするとスリリングなハンドリングになることは少なくなかった。過激なスポーツカーの形容として「綱渡りのような」、「薄氷を踏むような」という言葉が使われたものだ。
そのなかでもトップ級にスリリングだったのはマツダのミッドシップ&ガルウイング軽スポーツカー「オートザムAZ-1(1993年)」だ。ステアリングギア比がクイックでありシビアなコントロールが要求されるという以前に、速度を出していくとみるみるフロントの接地感が薄くなる。ほとんどのドライバーが危機を感じたことだろう。
また、接地感の薄さという点でいえばホンダが50周年記念に出したスポーツカー「S2000(1999年)」も双璧といえる。もっともS2000でAZ-1並みの不安を覚えるのはウエット限定だが……。それでも雨の高速道路でどれだけ冷静に対処できるかは、このクルマを安全に走らせるうえの重要なポイントといえよう。