今や当たり前の有名技術もピエヒ氏が生み出した
ドイツ、フォルクスワーゲンの会長として手腕を発揮し話題になった、フェルディナント・ピエヒ氏。経営者としてだけでなく、技術者としても自動車史に名前を残すというが、どんな業績があるのだろうか。ポイントだけに絞って、ざっくり解説してみよう。明日から使えるうんちくだ。
1)フェルディナント・ポルシェの孫
フェルディナントという名前からもわかるように、かのポルシェ博士の孫。名字が違うのは、母親方だから。つまりピエヒは、父親の名字。(写真右が幼少期のピエヒ氏)
2)あの死闘のポルシェも設計
日本のレース史に残る名勝負、第2回日本グランプリでのスカイラインGTとの死闘の相手となったポルシェ904の設計にも関わっている。
3)各社を点々とした
大学卒業後は、もちろんポルシェに入社。しかし、同族経営排除で退社するとメルセデス・ベンツでコンサルタントをしたあと、アウディへと入社。そしてグループの中核であるVWの会長へと就任した。
4)アウディの代名詞「クワトロ」を開発
アウディの看板技術だが、これを開発を指揮したのはピエヒ氏。とくにトラクションにこだわっていたようだ。