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自動車界の偉人! 「フェルディナント・ピエヒ」がわかる8つのネタ (1/2ページ)

自動車界の偉人! 「フェルディナント・ピエヒ」がわかる8つのネタ

今や当たり前の有名技術もピエヒ氏が生み出した

 ドイツ、フォルクスワーゲンの会長として手腕を発揮し話題になった、フェルディナント・ピエヒ氏。経営者としてだけでなく、技術者としても自動車史に名前を残すというが、どんな業績があるのだろうか。ポイントだけに絞って、ざっくり解説してみよう。明日から使えるうんちくだ。

1)フェルディナント・ポルシェの孫

 フェルディナントという名前からもわかるように、かのポルシェ博士の孫。名字が違うのは、母親方だから。つまりピエヒは、父親の名字。(写真右が幼少期のピエヒ氏)

2)あの死闘のポルシェも設計

 日本のレース史に残る名勝負、第2回日本グランプリでのスカイラインGTとの死闘の相手となったポルシェ904の設計にも関わっている。

3)各社を点々とした

 大学卒業後は、もちろんポルシェに入社。しかし、同族経営排除で退社するとメルセデス・ベンツでコンサルタントをしたあと、アウディへと入社。そしてグループの中核であるVWの会長へと就任した。

4)アウディの代名詞「クワトロ」を開発

 アウディの看板技術だが、これを開発を指揮したのはピエヒ氏。とくにトラクションにこだわっていたようだ。

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