レーシングドライバーでも冷や汗をかいた! 難易度MAXの90年代国産スポーツカー3選 (2/2ページ)

速さは強烈でもコーナーの挙動は厳しい!

2)マツダRX-7(3代目・FD3S型)

 マツダRX-7は初代FB3S型が1978年に登場した。ロータリーエンジンを搭載し2+2に特化したウェッジシェイプのボディスタイルが非常に魅力的だった。このRX-7が登場した時、僕はまだ大学生。だがアルバイトしていた自動車専門誌の筑波サーキットテストでドライブさせてもらう機会を得て当時国産モデルのラップタイムは1分20秒が壁とされていた中で1分18秒台を楽にマークしてみせ一気に国産最速モデルの称号を手にしていた。

 その後1985年に2代目FC3S型へと正常進化し1991年には3代目FD3S型となったが、この3代目が曲者だった。

 エンジンは13B型ツインローターのロータリーエンジンにターボチャージャーを装着し大幅にパワーアップ。それに合わせて前後サスペンションにダブルウイッシュボーンを採用しスペック的には強力な進化を遂げているように思えた。だが筑波サーキットで走らせて見ると、急激なターボ過給トルクの立ち上がりによるドライバビリティの悪さとリヤサスペンションのバンプステアが激しく、コーナー出口で急激にオーバーステアを誘発するスナップオーバーステア傾向が各所で表れ、コントロールするのが容易ではなかった。

 マツダにも再三改善を要望したが、この代で改良されることは遂になく2002年でRX-7自体が消滅してしまう。ただ富士スピードウェイや鈴鹿サーキットなど平均車速の高いサーキットでは軽量さが武器となって強力なパフォーマンスが発揮されていたのでタイトコーナーでの限界走行特性だけが弱点だったともいえる。

3)ホンダNSXタイプR(NA1型)

 1990年。ホンダが第2期F1活動で大成功を収めている最盛期にホンダNSXは登場させられた。F1マシンにつぎ込まれたホンダのDNAが活かされた本格的ミドシップスポーツカーとして一躍国産スポーツの華として世界中のファンを熱狂させた。そして1992年にはそのスポーツグレードとして「タイプR」が設定されるのだが、これがまた曲者だった。

 当時鈴鹿サーキットでタイプRの走行テストを引き受け走らせた。3リッターV6自然吸気のエンジンはポルシェ911並みのシャープなレスポンスで、オールアルミニウムボディで軽量な事に加えバケットシートや車体各所の軽量化も進められて280馬力の自主規制内では最速と思える動力性能を手に入れていたと言える。

 だがコーナーではコントロールするのに四苦八苦した。まずステアリングにパワーアシストが装着されていない。いわゆる「重ステ」で両手でしっかり握って操作しなければならない。マニュアルトランスミッションのシフトレバーはショートストロークであり転舵の量とバランスが合わず、シフトノブはチタン製金属表面剥き出しで素手では直に手の皮を痛めてしまう。そして何よりコーナーでのトリッキーな挙動に手こずらされる。ハイグリップタイヤ装着でコーナリングスピードは高いがGが高まった時に唐突にリアがリバースするスナップオーバーステアが誘発される。重ステゆえそれに対処するカウンターステアを当てるのが困難だった。

 全体に軽量化されているとはいえエンジンの搭載位置は変わらず、ドライサンプ化されていなかったので相対的にエンジン搭載位置は高いまま。それがコーナーでジャッキアップ現象により内輪を浮き上がらせるだけでなく外輪荷重も減少させテールのリバースを起こしていたのである。もしこの状態でウェットを走らせるとなったら相当真剣に集中しなければならず、覚悟が必要とされた。タイプRの速さは否定しないが、乗るのを躊躇するケースがあったのも事実だった。


中谷明彦 NAKAYA AKIHIKO

レーシングドライバー/2024-2025日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

中谷明彦
愛車
マツダCX-5 AWD
趣味
海外巡り
好きな有名人
クリント・イーストウッド、ニキ・ラウダ

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