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【国沢光宏がWRCに挑戦】もはや趣味の域を超越! それでも国沢光宏がラリーに挑むワケ (1/2ページ)

【国沢光宏がWRCに挑戦】もはや趣味の域を超越! それでも国沢光宏がラリーに挑むワケ

どうせなら「見る阿呆」より「踊る阿呆」に!

WEB CARTOPでもおなじみの自動車評論家、国沢光宏さんがドイツの地でWRC(世界ラリー選手権)に挑戦する! 8月22日(木)〜25日(日)に開催される第10戦ラリー・ドイツ取材のチャンスを得た新人編集部員篠田だが、ラリーについてはまったくの初心者。そこで前回は国沢さんにラリーとは何か、についてお話を伺ったが、そもそも国沢さんはなぜラリーに挑戦するのか? 素直な疑問をぶつけてみた!

篠田:前回はラリーの基礎について教えていただきましたが、今回は国沢さんにスポットを当ててお話をお聞きしたいと思います。まず率直な疑問なのですが、なぜ自動車評論家である国沢さんがラリーに挑戦しようと思ったのですか?

国沢:ラリーではいろんなクルマが出場できるレギュレーションになっているから幅があるのが面白いと思ったんだ。不利だと言われているオートマチック(AT)車でも実際に勝てたことがあるし、そういった面白さがラリーにはある。ラリーカーは日常的に乗ることができる市販車でありながら、トップクラスの選手権に出られることが魅力。改造費もレースカーに比べると比較的安価に作れるし、たとえばだけど、実力さえあれば、ワークスチームにだって勝てるかもしれない。他車とぶつかる危険性もほとんどないしね。あとは競技期間内でも他チームが親切にしてくれたり、優しくしてくれたり、仲良くできるのが良いね。

篠田:なるほど、確かにATでも出られるというのは驚きでした。では、そもそもラリーを始めたきっかけはなんだったのですか?

国沢:1990年代にWRCを見に行ったことが始まり。実際に見ているとトップのドライバーはとんでもない速さで目の前を駆け抜けていくんだよね。でも、先頭から20台くらい後ろにいたクルマがやってくると、だんだん自分でもできるかもしれないと思い始めた。30台くらいが通りすぎていくようになると、むしろ自分のほうが速いんじゃないかと。そしたら、これはもう出るしかないだろう! と思ったんだ。でも、実際に出てみると後ろの人たちも速いということがわかるんだけどね(笑)。クルマが好きな僕にしてみたら、踊る阿呆と見る阿呆、どうせ見るなら踊ったほうがいいんじゃないの、ということでやってみることにしたんだ。

篠田:その行動力を見習いたいです! 最初にラリーに出場したのはいつごろですか?

国沢:デビュー戦は2002年の日本アルペンラリー。日本国内で行なっている国際格式のラリーに参加したんだ。いきなり国際ラリーに出るなんて、と周囲からは反対されたよ。でも、そのラリーではGDBインプレッサの初期型で走り、クラス内の2番手につけたこともあった。

篠田:それはすごいですね! それからラリーに挑戦し続けているんですね。

国沢:デビュー戦で手応えを感じたこともあって、2004年に日本でWRCが開催されるとわかったときは出たくてしょうがなかった。でも、実績がないと、と言われて出られずに悔しい思いをしたよ。その代わりに、アジアパシフィックラリー選手権にエントリーして北海道開催のラリーにも参加し、ようやく翌年、WRCへの出場権を得ることができたんだ。その当時はラリー誌に「ポイントを稼いでしまった」なんて書かれたこともあったよ。今でも思い出すね。

篠田:その書き方はひどい! でもそれに挫けず、順調に実績を積まれてきているんですね。

国沢:それから、2008年にも日本が開催地になる最後のWRCに出場して、ジュニアWRC(現・WRC2)のワークスカーを除くグループNで6位、GDBでは1位を獲得できた。その後も2010年に今度は1年間参戦してみようということで、タイの選手権で1シーズン戦って総合優勝を果たした。ほかにも、タイの国王杯で2回勝ったことがある。楽しかったよ。

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