一切の妥協を許さないピュアスポーツカーを! 開発責任者の多田哲哉さんが新型トヨタ・スープラへ込めた思い (4/4ページ)

さまざまな選択肢があったが一貫してスープラを主張し続けた

 一方、実際にどんなクルマを作るかという議論においても、結論は簡単に見えてこなかった。当初は、スポーツカー以外の選択肢や、トヨタのハイブリッド技術を採用したスポーツカーなど、さまざまな可能性が議論された。だが、多田さんが一貫して主張していたのは、あくまでも新型スープラを念頭に置いたピュアスポーツカーだった。

 膠着気味であった両者の空気に風穴を開けたきっかけは、多田さんが発案したトヨタとBMWの合同イベントだった。

「レクサスLFAやBMWのM3などをテストコースに集めて、お互いが試乗し合ったんです。BMWのスタッフのなかには、トヨタのクルマに乗ったことがないという人もたくさんいました。彼らにしてみたら、極東の島国で作っているクルマなんて、という意識だったのではないでしょうか。けれど、実際に乗ってみると、面白いクルマじゃないかと。あの瞬間から、空気がガラッと変わった気がします」(後藤さん)

 トヨタもBMWも、もともとお互いがクルマづくりに熱い情熱を燃やす者同士。言葉の壁を越え、信頼関係を築くうち、多田さんたちの情熱はBMWにも伝播していく。そんななかで出されたのが、お互いの考える理想のスポーツカーを作ろうという結論だった。

「結果として、スープラはピュアスポーツカー、Z4はラグジュアリー性をより意識したスポーティカーといった棲み分けができたと思います」(多田さん)

 苦労も多かったが、それ以上にやりがいがあったと語るのは、2014年からプロジェクトに加わっている甲斐将行さんだ。

「一番の思い出は、BMWと共同で行なった公道テストです。フランスの田舎道から雪道、ステルビオ峠などの有名なワインディングロード。200㎞/h以上で走るアウトバーン。毎年10月から11月頃になると、その年の進化を確かめるために、ニュルブルクリンクサーキットも走りました。試作車がどんどんよくなっていき、最終的には自分たちの期待値を超えるほどの進化を実現できました。テストを通じて、われわれエンジニアも鍛えあげられたという実感がありますね」

 BMWとの協業経験は、車両開発の分野以外にもさまざまな知見をもたらした。開発初期にプロジェクトに加わり、現在ではオリンピック・パラリンピック部プロジェクト推進室に籍を置く井手鉄矢さんは次のように語る。

「スープラのプロジェクトには自ら志願して、まだオフィスも立ち上がっていない段階から参加させていただきました。その後、今の業務のために離れたんですが、国際オリンピック委員会とパートナーシップを締結する際には、BMWとの交渉経験が本当に役立ちました。現代の自動車メーカーはクルマを作ることだけでなく、さまざまな形で社会に貢献することも必要です。クルマづくりで経験した苦労は、これからのさまざまな活動においても、絶対に役立ってくれるはずです」

 このほか、スポーツカーの新しい楽しみを開拓しているというのも、新型スープラの注目すべき点だ。『GRレコーダー』の開発に携わった井上直也さんにうかがった。

「GRレコーダーは、スープラで実際に走ったときの車速や減速度、旋回G、車両方位などを標準フォーマットで記録するものです。データはSDカードを経由してウィンドウズPCに読み込ませることができ、画面上で自分の走りを確認できます。プレイステーションのゲーム『グランツーリスモ6』で自分の走りを再現する機能を持ったレコーダーはすでに86用としてあったのですが、GRレコーダーでは、Bluetooth通信を使ってその情報をリアルタイムで送信できるように進化させました」

「例えば360度カメラと組み合わせて映像情報と一緒に送信すれば、スープラを運転するアロンソ選手の助手席に同乗することが、誰でも遠隔から体験できるようになります。また、スープラでは、この4月から新たにGRスープラGTカップというe-Motorsportsの取り組みを始めました。グランツーリスモのインターネット対戦機能を使い世界各地で予選が行なわれ、秋には成績上位者を招待して東京モーターショーで世界一決定戦を開催する予定です」

 ゲーム内の新型スープラは、外形寸法などはもちろん、サスペンションの荷重のバランスなど、細部に至るまで実車を再現。ユーザーからのインプレッションを集めて、今後の車両開発や改良にも役立てることを考えている。まさに、ユーザーとともにクルマを育てていこうというプロジェクトだ。

 環境問題など、さまざまな要因でスポーツカーの前途に暗い影が見え隠れしている昨今だが、新型スープラは、これまでになかったスポーツカーの新しい未来を提示していると言えるだろう。開発メンバー全員が、「生涯忘れることのできない仕事になった」と語る開発プロジェクトは、トヨタのクルマづくりはもちろん、スポーツカーの歴史にもしっかりと刻まれるに違いない。


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