レベル2の次はレベル4が妥当! 日本政府が進めるレベル3自動運転の法整備に隠れた危険とは (2/2ページ)

より細かな制御が可能なEVのほうが自動運転に向いている

 では、自動運転は不可能であるのか、というと、必ずしもそうではないともいえるのではないか。多くの人々が想像する自動運転は、現在のクルマと同じように、いつでもどこへでも、誰もが自由に個人が移動できるものを指すだろう。

 しかし、たとえば地域のコミュニティバスのように、ある一定の経路を中心に巡回するような使い方であれば、無人化が可能になるかもしれない。また先般の横浜シーサイドラインの事故は、回路の設計とバックアップシステムの不備にあったとも伝えられている。それであれば、人が運転していても事故は起きたかもしれない。

 電気自動車(EV)についても、現在のディーゼルターボ車やハイブリッド車(HV)のように、一度満タンにしたら1000km走れなければ使い物にならないとの意見があるが、1000kmもの距離を休憩せず運転し続ける人がどれだけいるのだろう。

 途中で休みながら移動するならEVへの充電ができるし、普段は近距離しか走らない人なら、一充電で100km走れるEVでも使い物になる。安価に購入でき、なおかつ、エンジンより精緻な制御のできるEVは自動運転化に向いている。

 個々の都合や地域の住民が、日々の生活のなかで便利で安全に使えるクルマとして、限定的に自動運転が実用化することが最初ではないだろうか。EVを含め、グローバルでという価値はもはや意味を失いつつある。

 ローカルにプライベートに使える便利なクルマが、これから求められていくのだと思う。そういう意味で、大量生産・大量消費の時代は過去となりつつあるのではないか。そして使い方を限定すれば、自動運転の実用化は成るのだと思う。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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