ポルシェ初テストは濃霧で視界不良という最悪の状況……
これまでにも何度か述べたことがあるが、じつを言うと僕は「ポルシェ911」が好きではなかった。まだ学生時代の話だが、当時は930型が最新モデルのポルシェ911だった時代だ。ノンターボで自然吸気の911と911Sが約1000万円していた。当時の自分の愛車はというと、親戚から譲り受けたマツダ・ファミリア・ロータリークーペだった。
貧乏学生の身分では大衆車の代名詞であったトヨタ・カローラでも新車では買えない身分。ポルシェは運転したこともなかったが、そのカローラと同じくらいの大きさ(ディメンション)でカローラなら新車で100万円もしない。いくら性能がよくて高価な材料を使っていたとしても、カローラ10台分もの価値があるとは到底思えなかったからだ。
だが、そんな筆者も「ポルシェ・ショック」を体験し、その考えを根底から覆されることになる。大学を卒業してCARトップ誌に就職したころ、試乗担当としてポルシェ911をインプレッションする企画を任されたのだ。
当時ポルシェの日本総代理店である「ミツワ・モータース」の六本木ショールームから広報車を駆り出す。このお店は小学校時代の通学ルートにあり、毎朝カレラ6やカレラ10などのレーシングカーを眺めながら通学していたものだ。まさかそこに足を踏み入れるときがやってくるとは思いもよらなかった。
このときの試乗メニューは谷田部テストコースでの最高速テストと筑波サーキットでのタイムアタックという夢のような企画。だが911はペダルレイアウトがオフセットしていてヒール&トウもしにくい。編集長から「絶対に傷つけるな」ときつくお達しを受けており、緊張だらけで一般道を走らせるだけでも気疲れしていた。音もうるさいし乗り心地も悪い。カローラを走らせるほうがよほど楽で、こんなクルマを大金払って買う人の気が知れないと思ったものだ。
谷田部テストの朝は早い。たぶん早朝5時くらいだったと記憶しているが、谷田部テストコースは濃霧に覆われ数十メートル先も見えない悪コンディションだった。しかし記事の締め切りやコストの関係もあり、走行テストは敢行しなければならなかった。当時の谷田部テストコースは1周5.5キロのオーバルコースを持ち最高速度180km/hで連続走行が可能な国内唯一の高速テストコースだった。45度のバンクをカーブに備える巨大な施設だ。
それまでも国産車の走行テストは何度も行っておりコースは理解していたが、当時の国産車はというと最速車のトヨタ・ソアラでも180km/h程度のレベル。160km/hも出れば高性能と言われる時代だ。