当時はイマイチ人気の出なかったFRクーペも面白い!
3)日産シルビア(S14型)
1990年代のスポーティクーペマーケットを支えたのが、S13~S15型までのシルビアだ。4気筒エンジンを縦置きしたFRクーペというプロファイルから走り屋御用達といえる人気を誇る。
そのなかで、唯一3ナンバーボディとなったS14型シルビアは、この3世代のなかでは割合に低い評価を受けている印象もある。ただし、そこはやはりシルビアというビッグネームである、販売期間は1993年~1998年と20年以上も前だが、中古車市場ではそれなりに見つけることができる。
ドリフトのイメージから、ターボエンジンのMT仕様を探したくなるが、NAエンジンのオートマであれば50万円程度の予算で十分に手の届くプライスタグを掲げている個体も見つけられる。いまやダウンサイジングターボがムーブメントになっているからこそ、逆にNAエンジンのFR車は貴重な存在となっているのではないだろうか。
4)スバル・レガシィ(BE型/BH型)
いまや、すっかりアメリカナイズ(?)されてしまったスバルのフラッグシップモデル「レガシィ」だが、90年代には日本市場を考慮した5ナンバーサイズのボディだった。
1998年にフルモデルチェンジを受けた3代目レガシィツーリングワゴン(BH型)は、5ナンバーボディの集大成ともいえる傑作モデル。その開発リーダーであり、のちにSTIの社長も務めた桂田勝氏にちなんで「桂田レガシィ」と呼んでいる人もいるという。
また、この代からセダン(BE型)には「B4」というサブネームが付けられるようになったことも、現代のレガシィにつながる存在として忘れられないエピソードだ。
水平対向エンジンと前ストラット・後マルチリンクのサスペンションというメカニズムも、走りの本質的な部分で最新のSUBARU車に通じる。ただしアイサイト以前の、走りをピュアに追求していた姿勢がそこかしこに感じられるのが3代目レガシィの特徴であり、今だからこそ味わっておきたいクルマといえる所以。
なお、この世代のレガシィでは「ランカスター」という現代のアウトバックにつながるグレードが生まれことも記憶に残る。「ADA」と呼ばれるアイサイトのルーツ的なメカニズムが、限られたモデルに設定されたこともトピックスのひとつだ。
5)ホンダS2000(AP1)
1999年に誕生したS2000はホンダの50周年を記念して作られたFRのオープンスポーツカー。AP1の型式で知られる前期型は9000rpmまで楽々と吹き上がる2リッター4気筒VTECエンジン「F20C」を縦置きに積んでいた。この高回転エンジンのためなのか、それとも16インチタイヤだったせいなのか……ともかく初期型については間違いなく速いけれど、どことなく手の付けられなくなるような危うい雰囲気をまとっていた。
オープンカーとしては立ち気味のフロントウインドウを流れる景色は、実際以上のスピードを感じられるもので、その走りを味わえば「S」の名前にふさわしいピュアスポーツカーであると誰もが実感できるだろう。
スポーツカー純度でいえば、2.2リッターエンジンとなった後期型(AP2)よりもAP1のほうが色濃く感じるだろう。90’sカーとしてはギリギリのタイミングで誕生したS2000は、現代レベルの速さと電子デバイスに頼らないピュアスポーツを兼ね備えた稀有なスポーツカーといえる。