まだまだスポーツモデルが元気だった! 平成10年の名&迷車7選 (2/2ページ)

今なら売れた? 画期的なコンセプトの軽自動車も登場

4)日産ティーノ

 ティーノは今でいう2列シートのミニバンだ。前席3人掛けのベンチシートを搭載した6人乗り仕様があり、後席を取り外して広いラゲッジスペースとして使用できるのに加えて、限定ながら日産初のハイブリッドを販売するなど、挑戦的なクルマであった。

 販売は残念ながら低調に終わったが、ティーノが行った試みは記憶に留めたい。

5)ホンダZ(2代目)

 冒頭に書いた軽自動車の規格改正を期に車名を復活させる形で登場したホンダZの2代目は、エンジンを車体中央の床下に積むアンダーフロアミッドシップ4WD(以下UM-4)と呼ばれる構造を用いたSUV的なモデルだった。2代目ZはUM-4の採用により、軽自動車ながら高い衝突安全性を持つ点がとくに高く評価された。

 しかし技術の進歩により通常の構造でも衝突安全性は確保できるようになったことなどもあり、残念ながら後継車はなく一世代限りで姿を消してしまった。

6)三菱ランサーエボリューションV

 ラリーやレースといったモータースポーツベース車であるランサーエボリューションはこの年にVが登場。Ⅳまでのランサーエボリューションは「速いけど脆い(壊れやすい)、持久力がない」という弱点があったのだが、Vでは冷却性能の大幅な向上やブレンボブレーキの採用、ワイドボディ化などにより、当時の日本車最速の1台と断言できる速さと信頼性、持久力を手に入れた。

 またランサーエボリューションⅤは1998年のWRCでもメイクスタイトルとトミーマキネン選手のドライバーズタイトルというWタイトルも獲得し、三菱自動車のブランド力向上にも大きく貢献した。

7)マツダRX-7(V型)

 1991年に登場したRX-7も「速いけど脆い、持久力がない」というⅤまでのランサーエボリューションと同様の弱点があった。しかし、この年に登場した通称Ⅴ型と呼ばれる改良モデルでは、デザインの変更こそ少ないものの、冷却性能の大幅な向上により持久力を得ただけでなく、サスペンションなどの改良によるスポーツ走行時の扱いやすさ、ロータリーエンジンのパワーアップも含めた速さも手に入れ、モデルは古いものの日本車最速クラストップの戦闘力と質感を持つスポーツカーへと進化した。

 当時マツダは非常に苦しい時期だったものの、その状況下でもスポーツカーを進化させ続ける姿勢は、現在のマツダ車のたゆまぬ改良にも通じるよき伝統といえる。


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