レースで最強の座についたR32GT-Rに挑んだ三菱の技術力
2)日産スカイラインGT-R vs 三菱GTO
次なるガチバトルは 日産スカイラインGT-R VS三菱GTOだ。GT-RとGTOがガチバトル状態にあったなんて言うのは世界広しといえども僕一人くらいだろう。
スカイラインGT-RはR32型が1989年(平成元年)に登場。日産を象徴する名車スカイラインGT-Rを当時最新の技術で復活させたものだ。R32型登場のきっかけとなったのもグループA規定によるレース活動での活躍を期してのものだった。当時世界ツーリングカー選手権や国内の全日本ツーリングカー選手権がグループA規定で争われていて、そこで圧倒的なスペックで他を圧倒させるために生み出されたのがR32型GT-Rなのだ。
その策略は功を奏し、全日本グループA選手権では無敵の存在となる。またより市販状態に近い状態で行われるグループN規定で競うN1耐久レース(現スーパー耐久)でもR32型GT-Rは圧倒的な強さを見せたのだ。
三菱GTOはR32型GT-Rが登場した翌年、1990年(平成2年)にデビューした。だがGTOが目指したのはモータースポーツでの活躍を期したものではなかった。高速化する次世代を睨んでハイパワーで300km/hの高速走行を可能とする4WDの技術開発と基幹技術のアピールが主目的だったのだ。
ちょうど三菱は北海道の十勝地方・幕別に300km/hで連続走行が可能なテストコースとして十勝研究所を開設。1周10kmというアジア圏最大のオーバルコースを備え、350km/hで走れるスーパーカーHSRの開発を本気で目指していたといわれている。
当時国内には市販車の最大出力を280馬力に自主規制するルールがあり、R32型GT-Rも三菱GTOも最大出力280馬力に抑えられていた。また両車ともフルタイム4WDの2ドアクーペというパッケージングであり、市場では競合関係に位置していたのだ。
しかし、レースで勝つことを前提に企画されたGT-Rと、技術の象徴的存在とされたGTOが直接的なライバルと位置づけ意識する人は少なかっただろう。それをいきなり同じ土俵に上げてしまったのが当時三菱でモータースポーツを仕切っていたラリーアートだ。
そこから依頼を受け、僕はドライバーとしてGTOをN1耐久レースで走らせた。そこで得た印象はGT-Rと勝負できる! ということだった。それはGTOを開発したエンジニアにとっても意外な驚きだったようだ。N1耐久レースで孤軍奮闘する我々のプーマGTOに触発されて、三菱のエンジニアがさまざまな技術援助をしてくれたのだ。
今F1ではDRS(ドラッグリダクションシステム)が装備され直線スピードを稼ぐ技術が活用されているが、我々のプーマGTOも、まさに同じ技術を投入していた。市販モデルのGTOには速度感応型可変スポイラーが装着されていて高速ではスポイラーを立ち上げて高速走行安定性を高めていたが、僕はブレーキランプスイッチと連動させ、コーナーアプローチでの減速時にスポイラーを立ち上げるよう提案しチューニングしてもらったのだった。
結果、GTOがN1耐久で総合優勝を果たすことは叶わなかったが、何台ものGT-Rを下し2位の表彰台に立ち。予選でポールポジションを獲得したこともあった。
多くの人は知らないが、その時僕らはGTOでスカイラインGT-Rとガチバトルをしていたのだ。