ファミリアのターボに負けたことでエンジニアの心に火がついた
そこで走行実験部門のエンジニアたちは、前述した往年のモータースポーツチームからの要望を受け、レオーネの走りをすべて刷新する大改革をはかる。初代レガシィでの走りの大改革に深く携わった小荷田守さんと高橋保夫さんは、小関典幸さんの指導のもとでシビアな走行・耐久テストに明け暮れた。
浅間山のダートコースや、当時はまだ未舗装だったエビスサーキットをブルーバードやファミリアなどの他社のクルマで走ると、当時のSUBARU車よりも速くて安定していることにショックを受け続けたという。当時のスバル車との決定的な違いは動力性能で、スバルは悪路走破性を重視するあまり、高速域で求められる動力性能の向上が遅れ、シャシーの性能も高速走行時代についていけない状態だった。
小荷田さんは「サンバーやドミンゴなどの小型車にも効率の高い本格的な四輪駆動システムを装備するなど、四輪駆動の性能ではどこにも負けない自負はありましたが、速さでファミリアのターボに負けたことで、もっと良いクルマを作らねば! と心に火がつきましたね。当時の悔しさとショックが、のちの初代レガシィや初代WRXの痛快な走りにつながりました」と語る。この時代の挫折や苦難がのちの新世代モデルで昇華するためのパワーとして蓄えられたのだ。
動力性能の低さを克服すべく既存のモデルにターボを装着した試作車が数多く作られ、レオーネにもターボ装着モデルが設定されるようになったが、納得できるクルマにはほど遠かったという。走行安定テストを担当した高橋保夫さnは、「ジャスティにターボをつけたことがありましたが、シャシー性能がまったくついていけず、真っ直ぐ走らせるのに苦労しました。小関さんの指示で時速200km以上出せるレオーネも作りましたが、時速200km出すことはできても安定性が確保できず、運転中は尋常ならざる恐怖との戦いです。まばたきをする一瞬さえ恐ろしいという、寿命をすり減らすような思いで走行テストを繰り返しました。レオーネのターボにインタークーラーが最後までつけられなかったのは、シャシーのキャパ的に当時のパワーが限界だったからです」と、シャシーを抜本的に見直す必要を痛切に感じたという。