カミソリのようなキレッキレのFFマシンも生まれた
4)ホンダ・インテグラタイプR(DC2型)
このモデルで3代目となった平成5年登場のインテグラは、シビックに対する上級モデルとして1.8リッターエンジンを搭載するなど、悪いクルマではなかったのだが、独立したハイビームを含めたヘッドライトが丸いフロントマスクが原因だったのか、今一つパッとしないクルマであった。
しかしそのテコ入れ策も兼ね軽量スポーツバージョンとして追加されたタイプRは、手作業される部分もあるエンジン内部、周辺の徹底的な見直しによる20馬力のパワーアップを果たした。
さらにサスペンションの変更、トランスミッションやヘリカルLSDの採用といった駆動系の強化、大型リヤスポイラーなどの空力性能の向上などにより、1.8リッターNAのFF車ながら当時日本最強だった280馬力軍団相手でも簡単には抜けない速さを得た。
さらにインテグラタイプRは速いだけでなく、コントロール性の高さに代表される運転する楽しさ、レカロシートやモモのステアリングの採用などによるレーシングカーのような室内の雰囲気も備えていた。
この点はサーキットのラップタイムに代表される速さや駆動方式、価格以外1992年にNSXに追加されたタイプRとまったく同じスピリッツであり、当時の若者やクルマ好きの共感を集めた。とどめに価格はエアコンを着けて250万円以下という内容を考えれば激安かつ現実的なもので、今考えれば大反響も当然な非常に魅力的なクルマだった。
5)ホンダCR-V(初代モデル)
ホンダが前年の1994年登場の初代オデッセイから遅ればせながら開始したRV戦略であるクリエティブムーバー第二弾として登場した初代CR-Vは、シビックをベースにした乗用車のキャラクターが強いSUVである。この点は前年に登場したトヨタRAV4にも通じるが、CR-Vはより広いキャビン、ラゲッジスペース、成功したホンダで多い、リーズナブルな価格を理由に、今思うと決して出来のいいクルマでもなかったが、大ヒット車となった。
また初代CR-Vは日本専用車の予定だったのが、登場後世界中のホンダのディストリビューターから販売要請が殺到。あとから想定されていなかった左ハンドルやMT車が開発されるほどの人気車となり、CR-Vは2代目モデル以降も日本はともかくアコードやシビックに続く世界中で販売されるホンダの基幹車種の1台に成長した。
6)マツダ・ボンゴフレンディ
ボンゴフレンディは5ナンバー級のボディサイズで、エンジンは運転席の下に積み、短いノーズを持つという現在のハイエースの標準ボディのような成り立ちのミニバンで、そこに新しさはない。
しかし当時のRVブームの理由でもあったアウトドア人気に着目し、ルーフにテントのようにポップアップするオートフリートップを設定。オートフリートップは屋根裏部屋のように楽しくスペースだったのもあり、根強く人気を集めた。現在日本車のカタログモデルでこういったクルマはないものの、キャンピングカー業界やベンツVクラスのカタログモデルに近いモデルがあるなど、長きに渡って小さくない影響を与えた。
7)スズキX-90
X-90は初代エスクードの2ドア車をベースにした、2人乗りでルーフはTバールーフ(中央に骨格が残り、左右のガラス部分が脱着可能)という、今であればスペシャリティなSUVである。
確かにコンセプトは斬新だったのだが、「実際にどう使うのか?」となるとなかなか難しいクルマだったのが印象的で、残念ながら日本での販売期間は2年2カ月と短く、販売台数も1500台に満たないという低空飛行に終わってしまった。