CARトップの筑波テストで10年破られない記録を作ったクルマも
平成の元号が間もなく終わろうとしている。31年間続いた平成という時代はバブル景気の絶頂期と崩壊、阪神大震災や東日本大震災といった大規模災害、長かった不景気など、激動の時代であった。
激動だったのは日本車の大躍進や次々と変わったユーザーの志向の変化など、時代を映す鏡とも言われるクルマも同じ。そこで平成の終わりを期に、平成を駆け抜けたインパクトあるクルマを、良かったほう、悪かったほうを含めて振り返ってみたいと思う。今回は平成7年編をお届けしよう。
■平成7年(1995年)ってどんな年?
1月17日の阪神淡路大震災と、それから日が経たない3月20日に起きた地下鉄サリン事件という、今でも記憶に残る大事件が起こった。円高も進み、4月19日には79円75銭という2011年3月16日まで破られなかった最高値を記録し、経済界に大きな影響を与えた。また11月にマイクロソフトのウインドウズ95が発売され、これを期に多くの人がパソコンを使うようになったのもこの頃だった。
1)トヨタ・クラウン(10代目モデル)
1955年の登場以来、50年目と10代目という節目になったクラウンは、このモデルから中心となるロイヤル系のボディ構造をそれまで続いたペリメーターフレームからモノコックボディに変えるという大変革を行った。
同時にクラウンロイヤルとセルシオの車格となるマジェスタの4WDには日本初、世界的に見ても早い時期にVSC(スタビリティコントロール=横滑り防止)を採用。VSCはABSとトラクションコントールの機能を発展させコースアウトやスピンを防ぐというもので、登場時にはいろいろとその是非が議論された。
しかし時代が進むに連れコストダウンも進み今では当たり前の装備になったのに加え、アダプティブクルーズコントロールや自律自動ブレーキといった運転支援システムの基盤になっていることでも、この世代のクラウンマジェスタの残した功績は大きい。
2)日産スカイラインGT-R(R33型)
この一世代前の8代目、R32型スカイラインでイメージリーダーのGT-Rが復活し、次のR33型でもGT-Rは存続することにはなった。しかし当時はR32型が注力したグループAのような「GT-Rでなければ出られない」というモータースポーツのカテゴリーもなくなり(グループAの消滅はR32型スカイラインGT-Rが強すぎたことも原因の1つだったのだが)、GT-Rの存在意義が薄れたのも事実だった。
しかもRB26DETT型エンジン+アテーサE-TSというパワートレインも変えられず、R33型スカイラインGT-Rで開発陣が目指したのはドライビングプレジャー(運転する楽しさ)と速さの追求であった。
具体的な速さの目標は、R32型からテスト走行に使うようになった全長20km以上あるドイツの超難コースであるニュルブルクリンク北コースのラップタイムでR32型より21秒以上速い「8分を切ること」が掲げられた(1kmあたり1秒速いというのはとてつもないことだ)。
その目標は達成され、当時弊社CARトップ誌が行った筑波サーキット(全長約2km)のテストは1分3秒台という10年以上破られなかったレコードタイムを記録した。またR33型スカイラインGT-Rではモデルサイクル終盤にスカイラインの登場40周年を記念し、箱スカと呼ばれた最初のスカイラインGT-R以来となる4ドアセダンのGT-Rが設定されたことでも話題になった。
3)トヨタ・スターレット(5代目モデル)
5代目となるスターレットはトヨタのエントリーカーとして、クルマ自体はそれほど印象の強いものではなかった。しかしアクティブセーフティ(事故を起こさないための安全性)、パッシブセーフティ(衝突安全性に代表される事故が起きてしまった際の安全性)への注目の高まりもあり、5代目スターレットは衝突安全ボディGOAに加え、ABSとエアバッグも標準装備した。
装備類はコストの問題もあり高いクルマから標準装備化が進むのが常なのを考えると、それを社内で一番安いスターレットで行ったのは大変高く評価できることだった。しかしスターレットはこのモデルで最後になり、役割はヴィッツに引き継がれた点はちょっと皮肉だった。