スバリストを一躍有名にしたのはやはりWRCの功績
マイノリティだったスバリストが、その数を一気に増やして大勢力となったのは、主力車種がレオーネからレガシィとインプレッサに切り替わった90年代だった。悪路での安定性だけでなく、舗装路でも世界トップレベルの走行性能を得たことでSUBARU車ユーザーが激増。WRCでの派手な活躍もあって、年齢層も大幅に若返った。1996年にマイナーチェンジで280馬力となった2代目レガシィは1997年3月に月販1万4509台を記録するなど、SUBARU車としては未曾有の大ヒットに。
年間販売ランキングでもベスト10入りを果たすなどしたが、当時のレガシィ(2代目)とインプレッサ(初代)は、2リッター車としては世界でも突出した高性能を誇り、WRCでは3年連続マニュファクチャラーのチャンピオンに輝くなど、名実ともに「SUBARUは世界一」となったことで、スバリストと熱狂的なSUBARU信者が大激増した。
この頃から「スバリスト」という言葉がクルマ雑誌に取り上げられる機会も多くなり、やがては民放テレビの報道番組でもその名が使われるほどになる。
SUBARUはWRC参戦を休止してからもスーパーGTやニュルブルクリンク24時間耐久レース、全日本ラリー選手権などモータースポーツ競技に参戦し続け、衝突安全試験でも世界トップクラスの評価を獲得し続けるなど「挑戦」を継続。そして、不祥事や品質問題などの懸念や不安要素を抱えつつも、今もなお「挑戦」をし続け、個性的なメカニズムや技術を磨いて独自性を保とうとしている姿勢に魅了されるファン=「スバリスト」が一定勢力を誇り、他銘ファンを圧倒する勢いをみせているのである。