23年に渡る伝説の名勝負を繰り広げた2台もこの年生まれ! 平成4年に誕生した国産車5選 (2/2ページ)

伝説の名勝負は平成4年に始まった!

3)初代スバル・インプレッサWRX&三菱ランサーエボリューションⅠ

 日本自動車史に残る名勝負の1つとして2015年まで23年間続いたスバル・インプレッサWRXとランサーエボリューションの対決が始まったのは1992年だった。両車のコンセプトは、スバルはレガシィ、三菱はギャランで戦っていたWRCなどのモータースポーツを「戦闘力向上のため、もっと小さいクルマでやりたかった」というもので共通していた。

平成4年

 登場当初は軽快なハンドリングを持つインプレッサが優勢であったが、ランサーも新しいモデルが出るたびに改良され、2台は好勝負を続け、モータースポーツ参戦の際の戦闘力向上のため2台は毎年のように改良モデルが出る時期もあり、対決は大いに盛り上がった。

平成4年

 現在残念ながらランサーエボリューションは絶版となっているが、2台がWRCの大活躍などを含め日本が誇れるスポーツモデルに成長したのは切磋琢磨し合ったライバルがいたからでもあり、こんなライバル対決をまた見てみたいものである。

4)マツダ・クロノス兄弟本格化

 マツダはバブル期に販売チャンネル(ディーラー、ブランド)をマツダ、スポーティーなアンフィニ、プレミアムなユーノス、カジュアルなオートザム、当時資本関係にあったフォード車も販売するオートラマという5チャンネルに増やすという今思うと博打のような戦略を展開していた。

平成4年

 そのため各販売チャンネルで売るタマ(=クルマ)を増やす必要が生まれ、ユーノスではシトロエン、オートザムではデルタやテーマといったランチアを販売するほどであった。そこで生まれたのがマツダ店で販売されるミドルクラスの4ドアセダンのクロノスをベースにした兄弟車たちであった。車名を挙げていくと

 マツダ店:クロノス(平成3年)、MX-6(平成4年、2ドアクーペ)

 アンフィニ店:MS-6(平成4年、クロノスの5ドアセダン)、MS-8(平成4年、ペルソナの後継となるカリーナEDのような全高に低い4ドアクーペ)

 ユーノス店:ユーノス500(平成4年、クロノス兄弟では唯一の5ナンバーサイズのセダン)

 オートザム店:クレフ(平成4年、クセのあるスタイルをした4ドアセダン)

 オートラマ店:テルスター(平成3年、クロノスとMS-6の兄弟車)

 という、自分で書きながら「これであっているのか不安」と感じるくらいの兄弟車が誕生した。

 この兄弟車たちは率直なところMS-6とユーノス500のスタイルが良かったくらいしか思い浮かぶ魅力がなかったのに加え、これだけの兄弟車を短期間で出すには開発人員や開発期間といった開発資源があまりに足りず、クルマ自体の完成度が低かったことも大きな問題であった。

平成4年

 結果的にクロノス兄弟は兄弟車の数にはとても見合わない低調な販売成績に終わり、マツダの経営に大きなダメージを残し、マツダは1996年からフォード傘下に入ることになる。

 現在のマツダが少数精鋭のラインアップとなっているのは、この時の教訓も少なからずあるに違いない。

5)3代目三菱デボネア

 おもに「三菱グループの重役車」という目的で販売されていたデボネアは、22年間という長きに渡って生産され、“走るシーラカンス”というあまり嬉しくないニックネームがついた初代モデル、韓国のヒュンダイでも生産された2代目モデルを経て、平成4年に3代目モデルに移行した。

平成4年

 3代目デボネアはディアマンテのエンジン、ボディサイズを拡大したようなクルマで、クルマ自体に見るべきポイントはほとんどない。では何が印象的だったかというと、レーザーセンサーにより先行車との車間距離を測り、先行車に近づくと警報を慣らし、シフトダウンしエンジンブレーキも掛け減速するディスタンスウォーニングというシステムを備えていた点である。

 ディスタンスウォーニングは当時の完成度はさておき、現在の先行車追従型のアダプティブクルーズコントロールに通じるものであり、こういったシステムが平成4年にあったというのは当時の三菱のハイテク攻勢の意義といえるのではないだろうか。


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