日本車初の欧州カー・オブ・ザ・イヤー受賞車も誕生
平成の元号が間もなく終わろうとしている。31年間続いた平成という時代はバブル景気の絶頂期と崩壊、阪神大震災や東日本大震災といった大規模災害、長かった不景気など、激動の時代であった。激動だったのは日本車の大躍進や次々と変わったユーザーの志向の変化など、時代を映す鏡とも言われるクルマも同じだった。
そこで平成の終わりを期に、平成を駆け抜けたインパクトあるクルマを良かった方、悪かった方含めて振り返ってみたいと思う。平成元年編、平成2年編、平成3年編に続き、今回は平成4年編をお送りしたい。
■平成4年(1992年)ってどんな年?
まだ平成2年までのバブル景気の余波が残ってはいたが、徐々にバブル崩壊による不景気を感じ始めた時期だった。モータースポーツ界ではバブル崩壊の影響もありホンダが第二期と呼ばれたF1でのエンジン供給を休止した。明るい話題としては成田きんさんと蟹江ぎんさんの双子の姉妹が元気に100歳を迎え、じつにおめでたいということで話題になった。
1)トヨタ6代目カリーナ
コロナと兄弟車となるカリーナの6代目カリーナは、コロナ同様にスポーツモデルもないオーソドックスな4ドアセダンであった。ではどこにインパクトがあったかというと、6代目カリーナはリーンバーンと呼ばれる希薄燃焼(燃料を薄く燃やし燃費を向上させる)エンジンの普及に努めたことである。
というのもリーンバーンエンジンは前年の平成3年に登場したシビックとミラージュに設定され、燃費は確かに劇的に向上した。しかし、どちらも当初ATは設定されず、後者は実用上必要な装備も揃っていないなど、やや特殊なクルマという印象が否めなかった。
その点6代目カリーナのリーンバーン仕様は、ATもある普通のグレードをリーンバーンエンジンとしたもので、燃費の向上はシビックやミラージュほどではなかったにせよ、低燃費車を量販することで「全体的に燃費を向上させ、省資源を目指す」という姿勢が立派だった。
リーンバーンエンジンはNOx(窒素酸化物)の処理の難しさや直噴エンジンの普及などにより、残念ながら20世紀中にほぼ姿を消してしまったが、それでも低燃費エンジンとして「つなぎ」的な役割は十分果たしており、その普及に努めた6代目カリーナは記憶にとどめたい存在だ。
2)日産2代目マーチ
2代目マーチはスポーツモデルもなく、表面的に目立つのは当時珍しかったCVTが設定されているくらいという、地味で真面目なクルマであった。
しかしバブルの影響もありどこか浮ついた印象のあるクルマが多かった当時としてはそこが新鮮で、かつ誰が乗っても非常に使いやすいクルマだったことも時代の変化にマッチ。元々コンスタントだった販売台数が時間が経つにつれて増えるという珍しい売れ方をし、この後厳しくなっていく日産を支える存在となった。
そんなクルマだっただけに、2代目マーチはこの年の日本カー・オブ・ザ・イヤーに加え、日本車で初となる欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞するという快挙も成し遂げた。