日本初のスーパーカーが登場!
3)ホンダ・初代NSX
当時のポルシェ911やフェラーリ328をターゲットとしたミドル級のスポーツカーで、価格もMTで800万円という日本初のスーパーカー。
初代NSXのコンセプトはそれまでスポーツカーによくあった「スポーツカーだから乗りにくくてもいい」、「スポーツカーは信頼性の低いものだ」というある種の甘えをなくした、扱いやすい人間中心のスポーツカーである。そのコンセプトはほぼ達成され、速さもボディをアルミ製としたことによる軽量化、後に登場したスパルタンなNSX-Rや度重なる改良、改良の際に3リッターから3.2リッターへの排気量アップなどにより長年に渡ってトップクラスだった。
NSXのコンセプトや基本性能の確かさは、1990年の登場から2005年まで「15年間も販売できた」ということが象徴しているだろう。またNSXはアルミボディがサビに強いなど高い耐久性を持つこともあり、ホンダがリフレッシュプランというメーカーでの大規模な整備も行っており、相応のコストは掛かるにせよ「いいものを長く使う」、「好きなクルマに一生乗れる」という素晴らしさも備えていた。
4)三菱・初代ディアマンテ
当時のギャランの一車格上として登場したディアマンテは、マークⅡ三兄弟やローレル、アコードインスパイアのライバルとなるエンジン横置きFFの3ナンバー専用車だった。
クルマ自体は上級グレードにはトラクションコントロールや4WS、カーナビといったハイテク装備が満載だったが、このことはそれほど重要ではない。では何が画期的だったのかといえば、平成元年度から物品税の消費税への移行、3ナンバー車に課せられていた高額な自動車税が排気量に応じた制度になり、それまで庶民には高嶺の花であった3ナンバー車が身近なものになったのにいち早く対応した点である。
具体的には余裕ある動力性能に2リッタープラス年間5000円の自動車税で乗れる2.5リッターエンジンを中心に、ボディサイズもフェンダーなどの拡幅ではない全幅1775mmとした堂々としたスタイルと広い室内を持つものとし、量販グレードであれば価格もリーズナブルという商品企画を行い、大ヒット車となった。この功績が認められ、初代ディアマンテは初代エスティマや初代NSXという強力なライバルもいたこの年の日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞した。
5)マツダ・ユーノスコスモ
当時ディーラーの多チャンネル化によるブランド力向上という、今になると博打的な戦略を展開していたマツダが、ロードスターが主役だったユーノスブランドで販売するマツダのフラッグシップとしてリリースしたラグジュアリークーペ。
ユーノスコスモ最大の特徴は、やはり世界でマツダだけが実用化したロータリーエンジンの市販車用としては集大成となる3ローターの搭載である。コスモの3ローターエンジンにはターボも付き、V12エンジンのようにスムースでパワーも強烈であった反面、ATとの組み合わせでは低速トルクの細さが目立ち、高級車のエンジンには「果たして?」というのも否めなかった。おまけに燃費も極悪だった。
ユーノスコスモはいまとなってはスタイル、インテリアを含めた日本車にはなかなかない優雅な雰囲気を持ったクルマだが、のちのバブル崩壊もあり営業的には大失敗に終わり、「3ローターのコスモは500万円の定価だけど、開発費も含めて換算すると1台5000万円のクルマだ」という冗談もまんざらでもなさそうな、何を残したのかがわかりにくいクルマだった。