世界的な記録を作ったライトウェイトオープンもこの年に誕生
3)2代目ホンダ・インテグラ
2代目インテグラ自体はアメリカンテイストを持つシビックの上級モデルで、比較的お手軽に開発されたクルマである。では何にインパクトがあったのかというと、可変バルブタイミング機構(ホンダはVTEC)を普及させたことだ。
エンジンには、低回転域では実用的なトルク、高回転域はハイパワーが求められるが、可変バルブタイミング機構の登場まで両立は難しく、とくに小排気量のスポーツエンジンというと低回転域は力がなく、「回せば面白いけど、普段は運転しにくい」などと言われるのが相場だった。
そんな時代にVTECの実用化は、そういった問題を吸気と排気の両バルブの開くタイミングとリフト量を可変にすることで、低回転域は扱いやすく、高回転域ではリッター100馬力(1.6リッターなので160馬力)という昔のレーシングエンジンのような爆発的なパワーを持つユニットを実現した。
また、VTECは使い方を変えることで燃費重視のリーンバーン、バランス型、スポーツ用とエンジンの性格を自在にできる機構でもあり、現在でもホンダだけでなく、類似のものが世界中の自動車メーカーで進化を続けている。
4)初代マツダ・ロードスター
初代ロードスターは「1970年まで流行ったけど、厳しくなる一方の排ガス規制や衝突安全性といった法規をクリアできなかったため、絶滅してしまったライトウエイトオープンカーを最新の技術で復活させたい」というコンセプトで生まれたモデルである。
コンセプト自体は比較的単純明快だが、ロードスターの市販化においては「こんなクルマが売れるのか?」という社内の反対によりなかなか正式プロジェクトにならず、初期段階では川沿いの物置を綺麗にして開発が進められた(そのため物置はリバーサイドと呼ばれていた)というほどの扱いや、FRで四輪ダブルウイッシュボーンサスペンションの挙句、軽量化のためアルミパーツを使うという生産コストの高いクルマを「ちょっと勇気を出して買えば誰もが幸せになれるよう、200万円程度の安価な価格で作らなければならない」など、苦難の連続であった。
その苦難を経て産まれた初代ロードスターは「とくに速くもない、当然実用的でもない、うるさい」など悪いところ探せばキリがないクルマであった。しかしその代わりに、運転すること自体、クルマを触る、オープンで走る、ロードスターを通じた仲間との付き合いなど、さまざまな楽しみ方ができるクルマなのをおもな理由に、世界中で爆発的なヒット車となった。
ロードスターの成功は世界中の自動車メーカーに大きな影響を与え、フォロワーも多数登場した。だが今フォロワーたちを見ると存続しているクルマは意外に少なく、あの手この手を使いながら4世代に渡って、「初代の楽しさは残し続ける」という強固なポリシーを持って存続しているマツダは偉大である。
5)初代スバル・レガシィ
レガシィは昭和末期にクルマの古さをおもな原因に窮地に陥っていたスバルが、起死回生を掛けて開発したモデルである。セダンとステーションワゴンを持つミドルクラスに属する比較的オーソドックスなクルマながら、機能面は水平対向エンジン、今でいうプラットホームまで新設計となるスバルの背水の陣を感じさせるクルマだった。
時代背景もあり、4WDにターボエンジンを搭載するグレードが注目され、セダンでは最強グレードのRS系が当時の10万km走破の速度記録の樹立やラリーなどのモータースポーツでも活躍。とくにステーションワゴンのGTは、レガシィの登場までなぜか日本ではなかなか受け入れられなかったステーションワゴン市場において、カッコよさ、新鮮さ、使い勝手の良さ、スポーツ性などを理由にイメージリーダーとなり、日本におけるステーションワゴンブームの火付け役となった。初代レガシィは全体的に見ても大成功を納め、苦しかったスバルにとっては狙い通りの救世主となった。