まだ憧れだった時代にマイカーを現実のものにしたスバル360
ファミリーカーというのはその名のとおり「家族のクルマ」ということで、家族全員が乗車して出かけるときなどに活躍する車種となっている。そんなファミリーカーの主流は現在、大人数が乗車することができるミニバンが一大勢力となっているのはご存じのとおりだろう。
たとえ4人家族であっても、子供の友人が乗ったり、離れて暮らす祖父母が乗ったりと、多人数乗車をする可能性があることを考えると“大は小を兼ねる”ということでミニバンに人気が集まるのも理解できるところ。しかし、そんなファミリーカーも時代を追うごとに変化を見せている。そこで今回はそんなファミリーカーの遍歴を簡単に振り返ってみよう。
1958年に登場したスバル360は、軽自動車ながら大人4人が乗れる「マイカー」というポジションを確立した車種であった。当時、自動車はまだまだ庶民には高嶺の花であったが、頑張ればなんとか手が届きそうな価格だったスバル360は、日本のモータリゼーションの土台を作った立役者と言っても過言ではないだろう。
1960年代に入ると、「大衆車」を意味する英語「パブリック・カー」から名付けられたパブリカが登場。同車はスバル360と同じく「国民車構想」から生み出されたモデルだった。軽自動車に比べボディサイズに余裕がある普通車枠でリリースされたパブリカは、700ccの空冷の水平対向2気筒エンジンを搭載しながらも軽自動車並みの価格で販売された。
しかし、あまりに簡素化された装備が影響して大ヒットとはならず、その反省を受けて1966年に登場したのが、初代カローラだった。カローラと同じく1966年にデビューしたライバルのサニーとは熾烈なライバル争いを繰り広げ、このライバル関係は上級車種のコロナとブルーバードでも同様に繰り広げられていたことからも分かるように、60年代から80年代のファミリーカーの中心はセダンであったのである。