ゴーン容疑者の功罪! カルロス・ゴーン氏がいなければ誕生しなかったであろう日産車5選

良くも悪くも強烈なクルマを多数誕生させた

 日産の救世主であり、2018年11月、金融商品取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された、カルロス・ゴーン日産自動車の前会長。

 1999年に日産自動車の最高執行責任者(COO)に就任して以降、彼が首を縦に振らない限り、日産からニューモデルが世に出てくることはなくなったわけだが、その中でもこれまでにカルロス・ゴーンの肝煎りで登場したとされる日産車をいくつか振り返ってみよう。

1)日産GT-R(R35)

 カルロス・ゴーンの肝煎りのクルマとして、真っ先に思い浮かぶのは、R35GT-R。彼は、2001年に日産の最高経営責任者(CEO)に選出され、1998年には約2兆円あったとされる同社の有利子負債を、2003年に全額返済! そしてその2003年に、水野和敏さんに白羽の矢が立てられ、R35の開発がスタートする。

 ゴーン前会長は、2001年に「グローバルな日産のシンボルとして、2007年にGT-Rを復活させる」と宣言。ゴーン前会長の「水野にGT-Rの全部を任せる」という特任で、世界最速、300km/hクラスのスーパースポーツとして開発にゴーサインが出た。

 GT-Rのプロトタイプカーは、ゴーン前会長自らサーキットでハンドルを握り、テストに参加したことも!

 2001年の第35回東京モーターショーに出展された「GT-Rコンセプト」の発表も、2003年の第37回東京モーターショーの市販モデルの発表・発売時期(2007年)なども、カルロス・ゴーンによって行われた。

2)フェアレディZ(Z33)

 フェアレディZは、2000年末にZ32が生産終了(Z32)。Z32は1989年のデビューだったので異例の長寿モデルだったが、バブル崩壊の影響もあり、後継車の開発はストップ。絶版モデルの仲間入りになってしまったが、カルロス・ゴーン前会長の鶴の一声で、開発を再開。

 FMパッケージの2シーターオンリーで、プラットフォーム、エンジン、サスなどは、スカイラインV35と共有。2年間の空白を経て、2002年に5代目フェアレディZ(Z33)として復活したのだ。絶えかけた命脈を保つことができた。

3)リーフ

 ハイブリッド車に力を入れる自動車メーカーが多いなか、「HVはニッチ」と明言し、他車に先駆け量産電気自動車リーフの開発にゴーサイン。他業種から「自動車メーカーは内燃エンジンに執着していて、革新できない」などといわれていたが、2010年にリーフを登場させている。日産のEV車戦略の象徴だ。

4)エクストレイル

 エクストレイルは、ミドルサイズの世界戦略車のSUV。初代は2000年に登場し、競合車からは遅れての登場となったが、ライバルが都会的クロスオーバー色の強いなか、「タフギア」をコンセプトにオフロード色の濃い独自路線を打ち出した。

 2007年に登場した2代目もキープコンセプトで、日本でも海外でも人気車種に。

 現行の3代目は、日産がルノーと共同開発したCMFとよばれるプラットフォームを採用し、2013年に登場。

 エクストレイルは、ゴーン前会長の世界戦略、市場動向の読みから生まれたSUVだった。

5)ジューク

 ジュークは、インパクトのあるデザインと、コンパクトクロスオーバーという新しいジャンルを切り開いたヒットモデル。2010年にフランスで発表され、世界的な人気車に。

 特徴的なデザインは、日産デザインヨーロッパと日産グローバルデザイン本部の共作だが、日産のデザインチームを率いた元チーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)の中村史郎さんをヘッドハンティングしたのは、カルロス・ゴーン直々だった。

 ほかにもノートやマーチなどのコンパクトカーや、セレナなどのミニバンには力を入れたが、セドリックやグロリア、サニー、ブルーバード、プリメーラなど、日産の顔とも言えた車種はゴーン前会長のもとで、歴史を閉じた(ゴーン前会長自身は、伝統の車名は大事にするタイプだったらしいが……)。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

愛車
日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
趣味
-
好きな有名人
-

新着情報