2020年の実用化は不可能!? 自動運転車の実現に立ちはだかる壁

インフラから変更しないと厳しい状況にある

 最近、自動車産業を悩ませている巨大な難題は、やはり自動運転でしょう。これまで自由に移動することこそが最大の魅力だったはずの自動車を、道路の上を走る電車のような存在へと変身させようというのですから、かなりの難題です。電車はよそ者がいないことが前提のレールの上を走るわけですが、自動車はバイクも自転車も歩行者も混在する道路の上を走るわけで、その難易度は極めて高くなります。

 しかし安全性や効率を考えると、自動運転はクルマの社会的価値を大幅に高めることが確実です。ドライバーのミスや高齢者の認知症などによる事故を防ぐことができるだけでなく、重大事故につながりやすい居眠り運転や飲酒運転、暴走を排除することができます。自動運転によって、自動車の持つリスクや社会的費用を、大きく圧縮することができる可能性があるのです。

 とはいえ自動運転へのハードルは低くありません。メディアの中には2020年代の始めには実用化されるのではないか、というような論調もありますが、そんな短期間では不可能です。そもそも普通の自動車をゼロから開発しようとしても、5年くらいの時間は必要です。自動運転関連のユニットを今あるモデルに追加するようでは、マトモな自動運転車は出来上がらないからです。自動運転に適した構造やメカニズムを持っていなければ、自動運転は上手く作動しないことでしょう。

 自動運転の大きなハードルは、環境です。道路交通は目が見える人とドライバーのために設計されています。カメラとセンサーに優しくはないんです。たとえばほかの交通が入らない専用道路を作り、その中を走らせるのであれば自動運転は簡単に実現することでしょう。しかし、それは自動車ではないですよね。

 そして、交通状況は刻々と変化します。工事が始まったり、故障車が駐車したり、路線バスが停車して、走行車線が塞がれたりします。バイクが転倒しているかもしれません。そういった状況の中でスムースに運転を継続することが可能なのでしょうか? 道路環境を、カメラとセンサーのために最適化したものへと変身させるためには、大規模なインフラの整備が必要になります。

 また日本の道路交通は、複雑な混合交通になっています。人やバイク、自転車が、クルマと同じような場所を、あまり秩序を持たずに存在しています。とくにバイクや自転車は重大な法令違反をしても、ほぼ放置している、というのが現状です。5年ほど前、自動運転車のプロトタイプを中国・上海に持っていったら、まったく発進することができなかったそうです。

 人や自転車が交錯する環境では、その処理能力・判断能力がオーバーフローしてしまい、発進させることができなかった、ということでした。しかし、そんな都市でも、人間のドライバーは走らせることはできています。おそらく得ている情報は自動運転車のほうがはるかに膨大なはずですが、人間のドライバーのほうが上手く走らせてしまうわけです。

 そうした難しい判断をするために不可欠なのが、人工知能=AIです。根本的な問題は、そのAIというものが、まだ世界のどこにも存在していない、という現実です。じつはAIには定義がありません。その結果、拡大解釈されているのが、いま世の中で言われているAIなんですね。それは、ただひたすら大量のデータを読み込まることで、類推しやすい状況を作っているに過ぎません。データが大量であればあるほど、類推の正確性が向上します。それは知能ではありませんよね。ただデータとの比較を繰り返して、判断しているだけなんです。

 コンピュータが自ら考えて判断するような本格的なAIは、まだまだ実現が遠いと言われています。この考えるということ、いまわれわれが使っているノイマン型コンピュータでは困難である、という研究者も居ます。つまり自動運転による自動車の革新の前に、コンピュータの革新が必要なのかもしれません。

 いま、レベル2やレベル3といった自動運転のモデルが登場しています。これは既存技術の上で成立するので、別に難しいものではありません。その分、実際に作動させても、それほど大きなメリットを得られるわけでもありません。なにより誤検出や誤探知が多く、作動させたくない気分になりませんか?

 自由とか、安全とか、平和とか、他人から与えられるものではなく、自分たちで掴み取り、維持し続けなければならないものです。自動運転の時代到来はまだまだですから、自分の運転技術を磨き、安全なクルマを購入することを勧めたいですね。


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