当時の若者が憧れ続けたスポーツモデルたち
現在の国産車のラインアップからすっかり姿を消してしまったクーペ。しかし、今から30年前の昭和の時代には国産車のクーペが多くのメーカーからリリースされており、当時の若者たちは憧れをもって街を走りゆく姿を目で追ったものだった。そこで今回はそんな懐かしくもカッコいい昭和の国産クーペを振り返ってみたい。
1)三菱スタリオン
1982年にデビューした三菱のスペシャリティーカーであるスタリオン。一応ギャランΛ/エテルナΛの後継車種という位置づけではあったが、まったく新しいアグレッシブなスタイリングは国産車離れしたものだった。実際、北米市場ではクライスラーのダッジ/プリムスブランドからコンクエストという名前でも販売されていた。
当初は5ナンバーサイズのナローボディのみだったが、87年にワイドボディを持ったGSR-VRを限定発売。翌年4月からは2.6リッターエンジンを搭載したワイドボディのみのラインアップとなり、89年まで販売が続けられた。
2)いすゞ117クーペ
言わずと知れた名デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロがカロッツェリア・ギアに在籍していたときにスタイリングを手掛けたのがこの117クーペだ。デビューは1968年と古いが、時代ごとにスキンチェンジを実施して81年まで生産が続けられていた。
同車のセダン、フローリアンのフロアユニットを流用しているとは思えない美しいボディに目が行くが、1968年のデビューから10年間、廃車となった車両が1台もなかったという記録を持った車両であり、それだけ大切にされたモデルとも言えるだろう。(取材協力:サクラオートヒストリーフォーラム)
3)トヨタ・ソアラ
昭和のクーペという話題で外すことはできないのが、1981年に登場した初代ソアラだろう。80年代のトヨタを代表するイメージリーダーとして生み出されたソアラは、ライバルを国内ではなく海外のBMW5シリーズやメルセデスベンツ・SLCなどとしていた。
搭載されるエンジンも、ソアラのために開発されたと言われた5M-GEU型直列6気筒DOHC2.8リッターが用意された。さらにデジタルメーターやクルーズコントロールなど、当時の技術の粋が集められ、登場後の改良でもTEMSや電子制御オートマチック、エレクトロマルチビジョンなどの最新技術がどんどん採用されていた。その結果、上級グレードはクラウンを超える高額車となっていたが、それでも憧れるユーザーが後を絶たなかったのである。