かつてバカ売れしていたセダンが最近売れなくなったワケ

クルマが多様化してそれぞれが市場を形成した結果

 北米や中国市場ではセダンというカテゴリーに一定のニーズがあり、それなりのスケールを維持しているが、こと日本においてはセダン・カテゴリーの市場は縮小傾向と感じている人は多いのではないだろうか。実際、セダンの代表格というイメージの強いトヨタ・カローラでさえ、ハッチバックタイプのトヨタ・カローラスポーツにより生まれ変わった姿をアピールしているほどだ。レクサスやトヨタ・センチュリー、トヨタ・クラウンなどのショーファードリブンにおいてはセダンという価値観は残っているが、それもトヨタ・アルファード/トヨタ・ヴェルファイアに脅かされ、けっして安泰とはいえない。

 そんな日本市場であるが、平成の初めはまだセダンが主役だった。1989年(平成元年)に日本で売れた登録車販売ランキングのトップ3は、トヨタ・カローラ、トヨタ・マークII、トヨタ・クラウンというトヨタのセダンであった。その後、トヨタ・エスティマやホンダ・オデッセイ、ホンダ・ステップワゴンといったミニバン(当時はMPVと呼ばれることが多かった)が販売ランキングトップ10に顔を出すようになるが、トヨタ・カローラが20世紀中にトップをゆずることはなかった。

 そんなカローラからトップを奪ったのがホンダ・フィット。これは2002年のことだった。ここから日本市場のトレンドが大きく変わっていく。とはいえ、2008年にふたたびフィットが年間トップを奪い返すまでは、トヨタ・カローラがトップの座についていた。

 しかしながら、この時期のカローラはセダンよりもワゴン(フィールダー)のイメージが強まっていたこともあり、純粋にセダンが売れていたとは言い難い。また、21世紀になってからのトップ10の顔ぶれを見ると、セダンなのはトヨタ・クラウンくらいで、あとはマツダ・デミオや日産キューブなどハッチバックモデルが増えている。この頃からユーザーの価値観が変わってきたといえる。

 そうしたトレンドになった理由はいくつも挙げられるが、大きな要素としてバブル期からクルマのカテゴリーにおいてバリエーションが増えたことが影響している。1980年代以前は、コンパクトカーがハッチバック形状(当時は2BOXと呼んでいた)で、ある程度の車格以上になるとセダン(3BOX)という風に単純に分かれていた。今でいうSUVやワゴンといったカテゴリーは「ないに等しい」規模であって、限られたユーザーしか認識していなかったといえる。

大きなきっかけのひとつがRVブームといえる

 そうした価値観はバブル期のRVブームによって壊され始める。背面タイヤのクロスカントリー4WDを代表する三菱パジェロ、ライトバンとは違うスポーティなワゴンとしてイメージを変えたスバル・レガシィといったモデルにより、市場の視野が広がったのが、じつは1990年代であった。

 その影響が、実際に数字として出始めるまで10年以上を要したのは、ある程度の年齢になると価値観が固まってしまいやすいという人間の性もあるであろうし、またクルマの使われる時間が長いことも影響しているだろう。トレンドが変わったからといって、すぐに買い替えることはできないし、また買い替えるにしても長年の習慣を変えるのは難しい。

 そうしたことから、クルマ選びにおける価値観の多様化が生まれてから広がるまでは時間を要した。そして現在、売れているクルマのラインアップを見ればわかるように、かなり多様化が進んでいる。ミニバン一辺倒というわけでもなければ、クロスオーバーSUVばかりというわけでもない。コンパクトカーからプレミアムカーまで、それぞれが市場を成立させるに十分な支持を集めている。むしろ、どんなカテゴリーのモデルも中心にならない、それぞれのユーザーが自分に合ったクルマを選ぶ時代になっている。セダンが売れなくなったというのは、クルマの多様化が進んだことの、ひとつの象徴的な出来事といえるだろう。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
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