一時代を築いたマツダ・ファミリア! 初代から9代目まで激動の歴史を追う

過去にはロータリーエンジンを搭載したモデルも

 先日、幕張メッセで開催されたオートモビルカウンシル。その中のマツダブースでは、「MAZDA COMPACT HATCHBACK STORY」をテーマに次期アクセラと噂されている「マツダ 魁 CONCEPT(マツダ カイ コンセプト)」を筆頭にファミリア(5代目、6代目のラリーカー)やランティス、初代のマツダスピードアクセラが展示されていた。マツダ・ファミリア

 ここで「マツダのコンパクトハッチバックと言ったらデミオじゃないの?」と思った人もいるかもしれない。もちろん、現在のラインアップで考えるのであればデミオがそのポジションを担っているが、マツダの歴史上初のコンパクトハッチバックは1977年に登場した4代目ファミリアであり、その後継車種であるアクセラがその流れをくんでいるため、今回の展示と相成ったというわけだ。

 ちなみにファミリア自体の登場は1963年のこと。当時は自家用車よりも働くクルマとしての需要が高かったため、バンモデルからのスタートとなっており、翌年4月にはワゴンが、10月には4ドアセダンが追加されている。1967年には2代目へとフルモデルチェンジを果たすと、68年にはコスモスポーツに続くロータリーエンジン搭載車となるロータリークーペが追加された。そして73年には3代目へとビッグチェンジを行い、76年には昭和51年自動車排出ガス規制に適合するためのマイナーチェンジを実施。車名にアンチポリューション(公害対策)を意味するAPが追加されている。

 そして77年に初のハッチバックモデルとなる4代目へとフルモデルチェンジ。ライバル車種となる欧州ハッチバックとは異なりFRレイアウトを継承していたが、スマッシュヒットを記録した。

 結果的にFFレイアウトのハッチバックとしては最後発となった5代目ファミリアは1980年に登場。ライバル車種をしっかり研究することができたからか、日本カーオブザイヤーを受賞し、82年には国内登録販売台数でトップを記録するほどの大ヒット車種となった。

 85年に登場した6代目は外観こそキープコンセプトだったが、4WDターボをラインアップするなど、モータースポーツベース車としてのキャラクターを強める一方で、ファミリアとして唯一のオープンモデル、カブリオレも用意されていた。また、兄弟車として高級志向のエチュードも87年にリリース。しかし、小さな高級車というジャンルが登場するには早すぎたのか、2年ほどで姿を消した。

 元号が平成となった1989年2月には7代目モデルが登場。ハッチバック、セダン、そして5ドアハッチバックのアスティナとそれぞれ個別のデザインを採用。とくにアスティナはリトラクタブルヘッドライトを採用し、スポーティーな雰囲気を持った5ドアクーペといったいで立ちだった。

 なお、今回のオートモビルカウンシルでも展示されたランティスはファミリアアスティナのコンセプトを継承したモデルであり、海外では323F、または323アスティナという名前で販売されていた。

 続く8代目モデルは94年に登場。それまでの4WDターボのようなハイパフォーマンスなスポーツグレードは消滅し、3ドアハッチバックは新たに「NEO」というサブネームが付けられた。コンサバティブなセダンに対し、個性的なデザインを持ったNEOだったが、日本国内では受け入れられずに96年のマイナーチェンジで、オーソドックスな3ドアハッチバックへと軌道修正がなされている。

 ファミリアとしては最後のモデルとなる9代目は98年にデビュー。ハッチバックモデルは3ドアがなくなり、S-ワゴンと呼ばれる5ドアハッチバックモデルのみとなった。99年にはS-ワゴンにのみ、2リッターエンジンを搭載したスポーティーグレードのスポルト20が追加。

2001年5月にはS-ワゴンスポルト20に搭載されたエンジンをチューニングしたものをセダンボディに搭載した限定車「マツダスピードファミリア」が100台限定で登場。好評を博したため、9月にも100台ほどが追加生産されている。

 そして2003年には後継車種となるアクセラが登場し、ファミリアの名前はOEMとなったファミリアバンに残るのみとなった。現在はトヨタのプロボックス/サクシードのOEM車となっているが、バンでスタートしたファミリアの名前が、バンにのみ残っているのは何か運命のようなものを感じてしまう。


小鮒康一 KOBUNA KOICHI

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愛車
日産リーフ(2代目)/ユーノス ロードスター/マツダ・ロードスター(2代目) /ホンダS660/ホンダ・オデッセイ(初代)/ 日産パルサー(初代)
趣味
長距離ドライブ
好きな有名人
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