孫にあたる豊田章男社長らがスピーチを実施
クルマに乗るひとなら誰もが知っているトヨタ自動車。その創業者である豊田喜一郎氏が、2018年の米国自動車殿堂に選出され、7月19日、アメリカのデトロイトで授賞式が開催された。
それを受けて、8月6日には愛知県豊田市にて記念式典が開催。この式典には、トヨタ役員、トヨタ自動車販売店協会、協豊会・栄豊会、トヨタグループ各社の代表者、トヨタグループ各社の若手社員などが列席したとのこと。
式典では前述のデトロイトで行われた授賞式に参加した、内山田竹志会長、ジム・レンツ専務役員が受賞報告を行い、豊田章一郎名誉会長と豊田章男社長が以下のようなスピーチを行っている。
豊田章一郎名誉会長コメント
「米国自動車殿堂には1994年に豊田英二さんが、また、2007年に私も入らせて頂いておりますが、本年は織機の事業から自動車事業に挑戦した喜一郎の起業家としての創業時の功績が、自動車の母である米国から高く評価されての殿堂入りであり、大変光栄なこととして、嬉しく思っている次第でございます。
生前喜一郎は『自分は織機の技術では世界の誰にも負けない自信がある。しかし自動車については何もやらなかった。みんな部下や仲間がやってくれた』と言っておりました。その言葉には、『自動車事業は一人でできるものではない。多くの仲間が結集して汗を流してもらったからだ』という感謝の気持ちが込められておりました」
「喜一郎は戦後志半ばで倒れ、喜一郎が目指した本格的な大衆乗用車の実現を見ることはできませんでしたが、その夢と志は、喜一郎と夢を共有した部下の方々に受け継がれ、1955年にクラウンとして実現致しました。
その後今日まで、私どもの発展の原動力となってきましたのは、『現地現物』、『価格は市場できまる。絶えざる原価低減努力』、『品質は工程で造り込む(自工程完結)』、『イノベーションへの挑戦』、そしてこれらを担う人材の育成であります。これらは、いずれも創業期から喜一郎がクルマ作りで取り組んでいた考え方、姿勢そのものであり、喜一郎はトヨタ自動車やトヨタグループに今日まで生き続けております」
豊田章男社長コメント
「喜一郎は57歳という若さでなくなりましたので、私は直接会ったことはございませんが、今回の受賞にあたっても、『米国自動車殿堂にも、みんなで入るのだ。自分は代表して名前があるだけだ』と言ったのではないかと思います。
私は、喜一郎とその仲間の方々について考えるとき、必ず思うことが二つあります。一つは、創業期を支えてこられた先人の方々のおかげで今のトヨタがあるという感謝の気持ちです。
もう一つは、それにも関わらず、先人の方々は、良いところをほとんど見ていないという無念の想いです。それだけに、憧れた米国の地で、自動車殿堂入りという形で、先人の方々の努力と挑戦の日々が報われたことを、自分のこと以上に嬉しく思います」
「先人の方々が、日本の未来のために、当時は不可能と言われたクルマづくりに挑戦してくださったからこそ、今の私たちがあります。そのタスキを受け継いだ私たちがリスク、リスクと言って、何も挑戦せずに安全なことだけをしていたのでは、先人の方々にも、次世代の人たちにも申し訳がたちません。未来のモビリティ社会をもっと楽しく、もっと豊かなものにするために、私自身が先頭に立って闘い続けてまいります。そして、『自分のためではなく、社会のため、次世代の笑顔のために闘う』という創業の原点を、若い人たちにしっかりと継承してまいります」
豊田喜一郎氏は、自動織機の発明者である豊田佐吉氏の長男として1894年に誕生。豊田紡織に入社し、その後1926年に設立した豊田自動織機製作所の常務取締役に就任する。1933年には、同社に自動車部を設立し、1937年、ついにトヨタ自動車工業株式会社を興し、1941年に社長に就任、という道を歩んだ人物。現在のトヨタ自動車社長、豊田章男さんの祖父にあたる。
自動車殿堂には過去、かのヘンリー・フォード、ウォルター・クライスラー、フェルディナンド・ポルシェ、エンツォ・フェラーリなどのほか、日本人では本田技研工業の本田宗一郎氏、さらにトヨタ自動車からは、豊田英二氏、豊田章一郎氏などが選出されている。
また一人、日本の自動車産業の偉人が世界に認められたことは、我々日本人にとって嬉しい限りである。