「レース」「ロマン」「人物背景」の3つの要素が揃う
同世代にデビューしたマツダRX-7(FD3S)やトヨタ・スープラ(80型)もいいクルマで速いクルマだったが、人気という意味では、第2世代の日産スカイラインGT-R(R32、R33、R34)には敵わない。どうして、スカイラインGT-Rだけが圧倒的な人気を博したのか、その理由について考察してみよう。
キーワードは、ずばり「技術と人とロマン」。
まずは技術に関して。1989年に登場したR32GT-Rはそれ以前のクルマに比べて、国産車のパフォーマンスとクオリティを一気に10年分進化させたクルマといっていい。量産車なのに、600馬力オーバーを想定したエンジン(RB26DETT)。強靭なボディ剛性。アルミ対向ピストンキャリパーの本格的なブレーキシステム。四輪マルチリンクサスペンション、50タイヤ、トルクスプリット4WDのアテーサE-TS。アルミボンネット&フェンダーなど。どの技術も他車に先駆けて、GT-Rに採用された新しいテクノロジーだった。
1989年=平成元年なわけだが、R32GT-R以前の昭和のクルマと、R32GT-R以降の平成のクルマでは精度や耐久性、運動性能といったあらゆる点で、隔世の感がある。その新しい時代のターニングポイントになった一台こそ、GT-Rであり、こうした時代を象徴するような役割は、他のどんなハイパフォーマンスカーも持ち合わせていない。
R34のグランドエフェクト(ボディ下面の空力効果)を活用するエアロダイナミクスもそうだが、GT-R=技術革新のクルマというキャラクターは、唯一無二の存在だろう。これが第一の理由。
次に人。
普通のクルマは、誰が開発したかは世間の人に知られていないが、歴代スカイラインだけは、稀代のエンジニアで「スカイラインの父」と呼ばれた、桜井眞一郎さんが設計の指揮を執っていたことで知られている(7代目スカイラインまで)。そして、R32GT-Rは、その桜井眞一郎さんの片腕だった伊藤修令さんが主管となって腕を振るった。
またテストドライバーの加藤博義さん(現代の名工)や、渡邉衡三さんといったメンツに続く、R35GT-Rを作り出した水野和敏さん、田村宏志さんと、作り手の顔が見えるのが、歴代GT-Rの大きな特徴。いまでこそ、そのクルマを開発した主査や主管がユーザーにも知れ渡っているクルマは少なくないが、こうした流れはスカイラインGT-Rが作ったといっても過言ではない。
また、モーターレーシングシーンでも長谷見昌弘さん、星野一義さん、高橋国光さん、土屋圭市さんなど、当代一流のドライバーが、グループAレースで熱戦を繰り広げ、レーシングレジェンドや人気ドライバーの活躍が、そのままGT-R人気を加速させたのも大きな要素といえる。
もうひとつ、GT-Rのポテンシャルに惚れ込んで、全国の有名チューナー、新進気鋭のチューナーたちが、GT-Rのチューニングに心血を注ぎ、最高速、ゼロヨン、0-1000m、サーキットのラップタイムレコードを、毎月のように書き換えていった影響も大きいだろう。
それらを各種自動車媒体では大々的に取り上げていたし、ジャーナリストもGT-Rに思い入れのある人は多かった。
最後にロマン。
1964年の第2回日本GPで、生沢徹のスカイラインGTが、式場壮吉のポルシェ・カレラ904を抜いた瞬間に「スカG伝説」が生まれたように、R32GT-RもグループAにおいて、それまで国産勢が歯が立たなかった、強敵フォード・シェラRS500をデビュー戦で周回遅れにして下したことで、1985年のインターテックでのボルボ240ターボの黒船来襲以来、ツーリングカーレース=外車勢に勝てない、という図式を見事に払拭!
ニュルブルクリンクでも、量産車最速だったポルシェ911ターボの記録を破り、GT-Rは新時代のハコ車の王者として、押しも押されぬ存在となった。
モータースポーツの分野で国産勢は、長年先行する欧米諸国に追いつけ追い越せという宿願があったので、グループAレースとニュルブルクリンクにおいて、その悲願成就を達成したGT-Rは別格であり、その存在感は他の追随を許さないものがある。
これらはまさにロマンであり、GT-Rの「R」は、「レーシング」の他に「ロマン」という要素も含まれているように思えてならない。GT-Rの超絶人気は、この3大ファクターに支えられているというのが結論だ。