まるでコンセプトカーな1台も市販車になった
2017年に日産を退社したのが、カルロス・ゴーン氏が掲げたリバイバルプランをデザイン面から支えた、中村史郎氏だ。ご存じの方も多いように、もともとはいすゞのデザイナーであり、ヘッドハンティングという形で日産へと転籍。今回は中村氏の作品について振り返ってみよう。
1)いすゞ・ビークロス
コンセプトカーそのままに市販化されたことで、見るものをアッと言わせたのがこちら。正確に言うと、手がけたのはコンセプトカーで、市販車は中村氏とサイモン・コックス氏のふたりが担当したという。ちなみにコックス氏はその後、インフィニティのロンドンスタジオのトップにも就任している。中村氏の縁だろう。
2)いすゞ・ジェミニ
FFになった初の、いわゆるFFジェミニを担当。面を活かしたデザインは欧州車的なエッセンスにあふれていたし、ショッキングピンクやペパーミントグリーンなどのビビッドな色使いは衝撃だった。
3)いすゞ・アスカ
初代アスカがいすゞに入社して初めてデザインしたクルマ。上のFFジェミニよりもひとまわり大きいが、面で大胆に作り上げる手法はまったく同じだ。
4)4200R
1989年に発表されたいすゞのコンセプトカー。欧州のスタジオで作られたこともあり、かなりあか抜けた感じの大胆なスポーツカーである。こちらはひとりでデザインしたのではなく、ビークロスのサイモン・コックス氏やGMつながりで、ロータスのジュリアン・トムソン氏とともに担当した。
・日産時代
ヘッドハンティングで、日産デザインの改革で移籍しただけに、個々のデザインを担当したというのはない。しかし、3代目マーチや2代目キューブ、GT-R、フェアレディZなどのデザインを統括。移籍した1999年を境に、日産のデザインが確実に変わっていることに注目だ。