AMGとコラボレーションしたモデルもあった
走るシーラカンスとまで言われたのが、三菱の初代デボネアだ。1964年に登場して、なんと1986年まで作られた長寿車で、デザインも元GMのハンス・プレッツェナーが担当したことからアメ車ライクで、今見てもかっこいいスタイルである。もちろん三菱のフラッグシップだ。
そして、バブル時代に登場したのが2代目で、クラウンやセドリック/グロリアなどをライバルとしたものの、正直販売は芳しくなく、三菱グループの重役用というのが主な販売先であった。
それでも2代目を登場させたのは、当時関係が深かったクライスラーとヒュンダイとの関係によるものである。ヒュンダイはデボネアをノックダウン生産までしていたし、クライスラーも小型(アメリカの基準で)のセダンが欲しかったため、三菱としては作らざるを得なかったという事情もある。デザインについては2代目も外国人であるアルド・セッサーノ(当時の三菱車を多く手がけた)が担当したが、初代のインパクトを超えるものではなかったのは事実だ。
エンジンは2リッターと3リッターのV6で、2リッターにはスーパーチャージャーも追加されるのなど、そこそこの性能を発揮。乗り心地も上々だったし、FFのため車内が広いなどの見どころもあったが、販売台数増大にはつながらなかった。ときはバブル時代なのに不振というのは、かなり厳しいものであった。
ただし、2代目で注目なのは、あのAMGバージョンがあったこと。といっても、動力関係には手が入っておらず、エアロとアルミホイールのみがAMGのプロデュースしたものだった。もちろん当時はほとんど売れなかったが、意外に今でもイベントなどで見かけることもあり、珍車としての人気はけっこう高い。ちなみに四角ベースの白いボディはなんとも言えない魅力を漂わせている。
そして1992年には3代目が登場するが、バブルが終わった直後の登場ということもあり、販売は伸びず、1999年にはデボネア自体が消滅してしまった。内容的にはオートクルーズやカーナビ、超音波式電子制御サスペンションなど、意欲的ではあった。三菱のラインアップとしてディアマンテとキャラクターが被るのもハンディだったのは事実だ。
一応の後継車としてはプラウディアとディグニティとなるが、こちらもシーマのOEMで存続を図ったが、残念ながら現在は消滅している。