個別車種のPRでブランド全体のPRが可能だが失敗の代償も大きい
今国産車では、レクサスの「スピンドルグリル」やマツダの「魂動デザイン」のように、エクステリアデザインによってメーカーの個性を明確にしようという動きが目立っている。
ほかにも日産は「Vモーショングリル」と「ブーメランランプシグネチャー」といったデザインランゲージによって、ラインアップの統一感をアピールしている。
いずれも、どこから見てもそのブランドのクルマであることを明確にするというものだ。こうした動きは今に始まったことではない。古くはBMWの「キドニーグリル」のようなモチーフが、ブランドのアイコンとなっている。
ブランドとして提供する価値が共通であれば、エクステリアデザインを統一化することは非常に有効だ。なぜならブランディングという大きなエネルギーを使う行為に、リソースを集中できるからだ。
車種ごとに異なる価値を提供する場合、統一したブランド価値をアピールするのではなく(それも大事だが)、それぞれのモデルごとにPRをする必要がある。つまりバラバラにPRコストがかかることになる。
しかし、ラインアップ全体に統一したブランドを与えれば、たとえ個別にPRしたとしても相乗効果によりブランド全体の価値を高めるだろう。また、強いブランドイメージを確立すれば、それは資産となる。そのエクステリアを見せるだけで特定のイメージを浮かび上がらせる。伝統や共通したデザインアイコンによってラインアップ全体を貫く明確なブランドイメージを持たせることは、ある意味で合理的なのだ。
そうしたブランディングをわかりやすく象徴するのが、冒頭で記したようなエクステリアデザインの共通性だ。
とはいえ、自動車メーカーのラインアップ(コンパクトカーから中大型セダンまで)を統一したエクステリアデザインとするには、ある程度の時間が必要となろう。たとえば5モデルがあったとして、毎年モデルチェンジしたとしても統一したエクステリアデザインとするには4年はかかる。その間に飽きられてしまっては元も子もない。
そのため意匠によってブランドの統一性をアピールするならば、ある程度は不変的な価値を持つエクステリアデザインとすることが求められる。しかもブランディングに失敗すれば、ラインアップ全体が共倒れになるというリスクもある。
そして、多くの自動車メーカー(ブランド)があるからこそ、それぞれが統一したエクステリアデザインによってブランディングしても、市場全体としては多様性が保たれているという点も無視できない。
たとえば、日本の軽自動車のような限られたプレーヤーが競うカテゴリーにおいて、各社がエクステリアデザインを統一化すると市場から多様性は失われてしまうに違いなく、そうしたブランディングによって価値を生み出すとは考えにくい。