ミッドシップミニバンに乗用SUVの先駆けなど意欲作が多数!
「各部に外国車の影響を受けることが多く、独自性は薄い」と言われがちな日本車であるが、60年を超える日本車の歴史を振り返ると、「外国車に影響を与えた」、「強いインパクトがあった」、「世界初の技術を採用した」、「爆発に売れた」といったエポックメイキング(画期的な)なクルマも思い出すとたくさんある。その中には「壮大な失敗に終わったという意味で印象的だった」というクルマも少なからずあるが、そんなエポックメイキングなクルマをメーカーごと、年代ごとに挙げてみたい。
1)初代エスティマ(1990年)
初代エスティマはエンジンを運転席下に75度傾けて搭載し、短いフロントノーズに補器類を集めるというミッドシップレイアウトを持つ、今で言うミニバン、当時の1BOXカーだ。
初代エスティマの凄さは1BOXカーの大きな欠点であるハンドリングや走行安定性の悪さ、衝突安全性の低さをミッドシップレイアウトの採用で見事に克服したことだ。また未来的な内外装に憧れた人も多く、1BOXカーながら乗用車のような高い風格を持つことも大きな魅力だった。
残念ながら初代エスティマのミッドシップレイアウトは生産コストが非常に高かったこともあり、初代エスティマ一代で姿を消したものの、卵のようなシルエットが未だにエスティマのアイデンティティとして受け継がれている点は初代エスティマの偉大さといえる。
2)90系マークⅡ三兄弟(1992年)
90系マークⅡ三兄弟自体のコンセプトはそれまでとそう変わりないないのだが、注目したいのは90系マークⅡ三兄弟でシリーズに加わったスポーツグレードのツアラー系の存在だ。それまでのマークⅡ三兄弟にもターボエンジンを搭載したGTツインターボはラインアップされていたのだが、ハンドリングに代表される走りの性能では目標としたスカイラインに及んでいなかった。
ところが90系マークⅡ三兄弟のツアラー系、とくに2.5リッター直6ツインターボを搭載するツアラーVはMTの設定に加え、同時期のスカイラインに匹敵するハンドリングやスカイライン以上の速さを備え、この時期スカイラインが低迷期に差し掛かっていたこともあり、スポーツセダンというスカイラインのキャラクターを完全に奪い取ってしまったインパクトは凄い。それだけに90系と次の100系マークⅡ三兄弟に設定されたツアラーVは今でもとくにドリフトのベース車両として根強い人気を保っている。
3)初代RAV4(1994年)
コンパクトな今でいうSUV、当時のクロカン(クロスカントリー)4WDとしてはエスクードの方が先であったが、RAV4はそれを軽量かつ比較的手軽に乗用車ベースで作ったことが画期的で、RAV4以降のSUVは乗用車ベースが主流となったという意味でRAV4の功績は大きい。
4)キャバリエ(1996年)
日本メーカーが輸入車を販売するというのは、スズキがプジョー、マツダがユーノスチャンネルでシトロエン、オートザムチャンネルでランチア、トヨタがVW&アウディという例があったが、キャバリエは当時アメリカにトヨタとGMの合弁工場「NUMMI(ヌーミー)」があったこともあり、「トヨタが貿易摩擦緩和のためアメリカ車を売る」という点がエポックメイキングであった。しかしキャバリエ自体は当時のアメ車としてはごく普通のミドルセダン、クーペでしかなく、当時のごく普通のアメ車ということは当時の日本車としては水準以下のクルマであり、キャバリエ程度の日本車はゴロゴロとあるというのは否めなかった。そのため、キャバリエはウインカーとワイパーレバーの左右入れ替えも含む右ハンドル化、2.4リッターエンジンを積みながら200万円前後という納得できる価格設定、タレントの所ジョージさんを起用したCM展開など、「トヨタがやるべきことはちゃんとやった」クルマながら、販売は低調に終わった。
クルマ自体はともかくとして、「あれだけの販売力を持つトヨタが売ってもダメだった」、「トヨタという自動車メーカーは簡単に約束しないけど、約束したことはそうそう破らない」という2つの面で歴史に残るクルマとは言える。