TVRは1947年に誕生した英国のスポーツカーメーカー
“TVR”という名前を耳にして、1960年代へと想いを遊ばせられるのは相当マニアックな人。多くのクルマ好きは1990年代初頭から2000年を少し超えた辺りまでの、日本ではインポーターが頑張っていたこともあってさまざまなメディアを飾った、古典と斬新、洗練と無骨が奇妙に同居していたいくつかのモデルを思い浮かべることだろう。いや、長らくその存在を忘れていた人も多いだろうし、それ以前に知らないという人だって多いかも知れない。
TVRは1947年に誕生した英国のスポーツカー・メーカーで、社名は創業者だった24歳の青年、トレヴァー・ウィルキンソンの“トレヴァー”の綴りにちなんだもの。ほとんどワンオフに近いモデルのからスタートし、1958年にデビューした“グランチュラ”という軽量スポーツカーが最初の2年で約100台、シリーズ全体では1967年までに約800台という、バックヤード・ビルダーにとってはヒットといえる成功を収め、1963年にはグランチュラの軽い車体にV8ユニットを押し込んだ“グリフィス”という過激な野心作をリリースするなど順調に伸びていきそうに見えたが、そのじつ、経営は必ずしも楽ではなかった。スポーツカー・メーカー「あるある」みたいなものだ。
1965年に経営はウィルキンソンからアーサーとマーティンのリリー親子に引き継がれる。彼らはグリフィスの後継である“タスカン”、グランチュラの後継である“ヴィクセン”、ヴィクセンを発展させた“M”シリーズなどを送り出し、年産400台を超えるところまで発展させた。
ところが1980年代に入ると、それまでの英国人の多くが好む古典的なスタイリングの流れをブツリと断ち切るかのようなウエッジシェイプ・デザインを持った、スポーツカーというよりGTカー風味の強い“タスミン”を発表し、一気に失速する。
そして1981年、ピーター・ウィラーという男が経営権を手に入れる。彼は優れた経営者だったばかりではなく、エンスージャストでもあった。そして彼の手腕によってTVRは黄金期を迎えるのだ。
ウィラーは不評だったタスミンにヴァリエーションを持たせたりスポーツ性を高めるなど改良を地道に繰り返しながら経営を煮詰め、同時に「英国人による英国人好みの英国製スポーツカー」であることにこだわったようなクルマ作りをスタートさせた。スタイリングを伝統的なTVRの流れに戻した“S”シリーズをデビューさせ、以降のモデルはそれを基板にし、時にオーソドックスに、時に大胆にアレンジを加えたフォルムを与えていく。
スパルタンなオープン・スポーツカーの2代目グリフィスも、もう少しマイルドでさらに古典色の強い“キミーラ”も好評で、ウィラーはそうして得た利益を自社製の高性能エンジンの開発に注ぎ込み、そのエンジンを搭載した“サーブラウ”も好評。TVRは英国内でポルシェを超える販売台数を記録するスポーツカー・メーカーへと成長したのだった。