目標の35万円はクリアできなかったが42万5000円で発売
○高嶺の花から庶民の足へ
最初に掲げていた35万円での発売には及ばなかったものの、庶民の手に届く42万5000円という価格で売り出すこととなった。当時、トヨタのクラウンが101万円であったのに対し、半値以下で高性能のクルマの購入が可能になったことは、庶民の「マイカー」への夢をグッと近いものにした。
画期的な技術を惜しみなく導入したこのクルマは、ライバル車であったワーゲンビートルの「かぶと虫」の愛称と対抗して、形が丸みを帯びて愛らしいことから、「てんとう虫」の名で、広く庶民に親しまれていった。
戦後を代表する大衆車となったスバル360は、新・三種の神器、「3C」の仲間入りの立役者となり、1958年から生産終了の1970年までの12年間で、約39万もの販売台数を売り上げたのであった。
◯現在へ受け継がれるもの
モノコックボディ、ねじり棒バネ、空冷2気筒エンジンや航空機技術を利用した鋲1本からの軽量化など、「日本初」を盛り込んだスバル360は、2016年7月25日に、機械遺産に認定された。機械遺産とは、日本機械学会が機械技術面で日本において歴史的意義のあるものに贈る称号である。優れた技術を文化遺産として、次の世代に伝承することを目的としている。
現在のクルマが、その礎を作ったスバル360から受け継いだものは技術だけではない。開発者たちが4人乗りを目指したのは、「家族」でのドライブを楽しむことに焦点を当てていたからである。楽しい時間の共有空間を、クルマという移動手段に与え、便利さの実現だけではなく乗る人の生活をも豊かにしたのである。
「安心と愉しさを。」をスローガンとするSUBARU。同車の開発にあたって培われた技術はさらに、最新のテクノロジーであるアイサイトという新しい安心をもたらし、ドライブの楽しさのクオリティをより一層高めている。大切な人との大切な時間を作ることを軸とするのは、スバル360の開発から現在、そして未来へと、変わらないスバルマインドであろう。