機械遺産に認定された「てんとう虫」
スバル360。このクルマが戦後日本のマイカーの普及にどれほど貢献したかご存じだろうか。当時では不可能と言われた低価格であり高性能のクルマ。2016年にはその技術の高さから、機械遺産にも登録された。今回は、てんとう虫の愛称で親しまれ、日本初の試みがたっぷり詰まったスバル360について筆を走らせる。
◯庶民のマイカーの夢の実現
1955年、戦後間もないこのとき、自家用車を持つことは、庶民にとって夢のまた夢のような話であった。1台およそ100万円、それは平均的なサラリーマンの年収5年ぶん、住宅を買うよりも高かった。当時の平均月収数千円の庶民には買えるものではなく、自家用車は高所得者層の象徴でもあった。当時はクルマと言っても2人の乗りのものや、1人乗りのオート3輪であり、庶民の足はもっぱら自転車だったのだ。
1954年に政府の「国民車構想」により施行された「新・道路交通取締法」で、軽自動車の規格は全長×全幅×全高(mm)=3000×1300×2000の寸法で、2ストロークエンジン、4ストロークエンジンとともに排気量が360ccに制定された。
「360cc」、どれくらいの量か想像できるだろうか。およそ牛乳瓶(180cc)2本分。それはバイク並みのエンジンほどで、2人乗りのクルマを走行させるのが限界の排気量であった。
この排気量で、大人4人乗車可能で、まだ国道の9割が舗装が不十分な日本の悪路を走行でき、さらには庶民の手に届く金額のクルマを作ろう。そうした志をもとに立ち上がったのが、旧中島飛行機、のちの富士重工業(現 SUBARU)であった。
開発チームは、3つの目標を掲げた。
・価格は35万円
・日本の悪路を60kmで走行する
・どんな坂道も登る
当時の技術水準をはるかに超える目標であったのは、言うまでない。