73年にはカルロ・キティが手掛けた水平対向12気筒を搭載
そこで73年シーズンに向けてはエンジンをより強化したニューマシンを投入することになった。それがTipo33TT12。TTの後に12が追加されていたことからも分かるように、搭載されたエンジンは、カルロ・キティが手掛けた水平対向12気筒ユニット。
当初は450馬力とされていた最高出力も、後には510馬力にまでパワーアップ。当時のF1GPマシンと比較してもひけを取らないだけのハイパワーを誇っていた。一方でロールバーまで覆ったボディカウルは、ダルなノーズやショルダーの峰にフィンを生やす独特の空力理論でデザインされていた。
しかしTipo33TT12のデビューは、悲惨な結果に終わってしまった。73年シーズンも中盤、全10戦シリーズの折り返しを迎える第5戦・スパ-フランコルシャン1000kmに初めて姿を見せたTipo33TT12は、一部間に合わなかったパーツを現地調達して走り始めたがトラブルが続出。結局本番に駒を進めることはできなかったのだ。
仕切り直しのデビュー戦となったタルガフローリオではロルフ・シュトムレンがレース中のベストラップをマークして、そのポテンシャルの一端を見せたものの、やはり結果には結びつかず。
その後もリタイヤの連続でシリーズ終盤、第9戦のエステルライヒリンク1000kmでは、特徴的だったリヤカウルを、エンジンカバーをフラットにしてロールバーを露出させる、コンサバな形状にコンバートしてきたが、そこでも結果を残すことはできず。最終戦のワトキンスグレンはついに出走を取りやめるという、惨憺たるデビューシーズンを送ることになった。
翌74年シーズン、Tipo33TT12は開幕戦のモンツァで見事な1-2-3フィニッシュを飾ることになる。その後も3度、2位入賞を飾ったが、第2戦以降はマトラが連勝、前年に続きメーカー選手権を2連覇。明暗を分けている。
そんな経緯から、当初はシリーズからの撤退も噂された75年シーズンだったが、ドイツのウイリー・カウーゼンのチームからエントリーしたTipo33TT12は全9戦のシリーズで7勝を挙げ、念願のメイクスタイトルを手に入れることになる。
シリーズを2連覇したマトラが顔を見せなかったとは言うものの、アルピーヌ・ルノーとポルシェのターボ勢に加えて、DFVを使用するリジェやガルフ・ミラージュなど錚々たるメンバーを相手にしての結果だけに、評価は高い。ようやく、本来のポテンシャルを発揮できるようになった、ということだろうか。
翌76年シーズン、アルファ・ロメオ/アウトデルタはニューマシンを投入している。それがTipo33SC12。前年の主戦マシンだったTipo33TT12との違いはシャーシ。Tipo33TT12が鋼管スペースフレームだったのに対してTipo33SC12はアルミモノコックフレームが採用されていた。ちなみに、SCはscatolato(イタリア語で箱の意)から命名されたもの。
エンジンは、Tipo33TT12から継続して水平対向12気筒を搭載。ダルなノーズにショルダーの峰、ロールバーをカバーしたリアカウルにインダクションポッドを持つボディにも大きな変更はなかった。