オーテックから受注生産のオープンモデルも登場
素姓もよく、FRならではの操縦性の良さを感じられるハンドリングで、新車価格がNAのJ’s(ジェイズ)なら150万円台から。ターボのK’s(ケーズ)でも203万円(MC後・MT)という設定もうれしかった。
1988年に、オーテックジャパンからK’sベースのコンバーチブルが登場(受注生産)。1991年にマイナーチェンジを行い、エンジンが1.8リッターのCA18系から、2リッターのSR20系にアップデート。ターボでは30馬力アップの205馬力に動力性能を向上した。
1993年10月に、フルモデルチェンジを受けてS14になるが、スタイリングの魅力を一気に失い、むしろS13の評価と人気が高まることに。
今考えると、けっこう優秀なリヤのマルチリンクサスに対し、キャパもストロークも不足気味のフロントストラットの組み合わせで、ちょっとアンバランスでスイートスポットの狭いクルマだったかもしれないが、ボディがきれいで、パワフルなターボで、価格もお買い得で、FR。おまけに当時はデートカーなどと呼ばれ、女の子にも評判がよかったりして、これだけ揃えば、クルマ好きだって増えて当然!?
R32系スカイラインの1年前のデビューだったが、新しい日産を予感させるのに十分な内容を持ったクルマだった。
歴史的に見ても、1988年のこのS13シルビアと、1989年のR32スカイライン、そして1990年のP10プリメーラの3台は、日産の黄金期を象徴するクルマだったと断言できる。