どのモデルも高性能スペックを誇っていた
日本のGTカー、そして「走り」のパフォーマンスの象徴ともいえる「スカイライン」が、今年デビュー60周年を迎える。人間でいえば、還暦。この間どれだけのクルマが誕生し、消えていったことか……。社会情勢や価値観の変化といった荒波を乗り越え、いまだに愛され続けているスカラインに敬意を表して、ここでその歴史を振り返ってみよう。
「スカイライン」という名称は、「スカイラインの父」として知られる桜井眞一郎氏をはじめとする初代スカイラインの開発陣が、志賀高原のスキーに出かけた際、青い空と白い山並みを走る稜線の美しさに感動し、開発中の新型小型車に「山並みと青空を区切る稜線」=スカイラインという名前を与えようと話し合われたというエピソードで知られている。
ちょうど10年前、スカイラインデビュー50周年に、その命名の地である、群馬県草津町の「芳ヶ平ヒュッテ」に、記念プレートが設置された。そんなスカイラインは、現行のV37型で、13代目。まずは初代から見ていこう。
①初代 SI型系 1957年-1963年
初代=SI型系は、プリンス自動車工業の前身・富士精密工業から1957年の4月に登場。当時のアメリカ車のデザインの影響を大きく受け、アメリカ風の派手なスタイリングを取り入れていた。
戦前の中島飛行機の流れを汲む、国内屈指の技術者集団だった富士精密工業の設計陣が総力を挙げて開発した1台で、セミ・モノコックフレームに、フロントサスはダブルウイッシュボーン、リヤサスにはリーフスプリングの日本初のド・ディオンアクスルを採用し、先進性的なメカニズムで注目を集めた。
エンジンはプリンスセダン用に開発された直列4気筒OHV・1484ccのGA30型で、小型車(当時は1500㏄が上限)では、最高出力は60馬力。ライバルのクラウンが58馬力、日産オースチンが57馬力の時代で、クラストップの実力を誇り、カタログには、国産1500ccクラス最速の最高速度125km/hと誇らしげに書かれていた。
また初代で特筆できるのは、1962年にイタリアのカロッツェリア「ミケロッティ」がデザインした、スカイラインスポーツを追加したこと。ハンドメイドボディ+総革張りの内装で、ベース車のスカイラインデラックスが68万円だったのに対し、スカイラインスポーツはクーペが185万円、コンバーチブルは195万円というプライスで、クーペが35台、コンバーチブルが25台のみ製造された。ちなみに、国産車で初めて最高速度150km/hの大台に乗せたのも、このスカイラインスポーツだった。