海外はもちろん日本でも昔から作られていた
EVと聞くと、最先端技術の粋を集めた、未来のクルマ、といったイメージだが、じつはかなり昔からあった。理由は簡単で、バッテリーとモーターをつなげば回るから。要は、実用的な性能を確保するという点では未来の技術なのだが、電気自動車というものを作ること自体は簡単なのだけに、かなり昔から作られている。
その代表格が、日産(プリンス)に統合されてしまった、たま電気自動車だ。1947年モデルを日産がレストアして話題になったりしたので、ご存じの方も多いだろう。性能も意外によく、1回の充電で100km近く(カタログ値はもっと短い)、走ることもできたという。それゆえ、タクシーに実際に使われていたり、トラックやセダンなど、さまざまなモデルが作られた。
と、聞くと比較的大きなメーカーだったからできたのだろうと思うかもしれない。実際、たまのバックにはブリヂストンの創業者、石橋氏が付いていたのだが、じつは戦前、戦中にも、たくさんの電気自動車が雨後のタケノコの如く登場した。
しかも、東京だけでなく、大阪や名古屋などでも、OS式電気自動車や名古屋電気車といったモデルがあったし、中島製作所という大阪のメーカーはなんと大正時代から作っていたという。
そんなに続々と登場したのは、最初に紹介した作りやすさもあるのだが、じつは電気の供給には比較的余裕があったのだ。つまり、ガソリンを供給する困難さに比べれば、電気は作りやすかったし、送電もしやすかった。また、戦争中や終戦直後は大口需要者である工場が破壊され、電気が余剰するほどだった。この点はかなり意外だが、いずれにしても電気自動車を作るメリットは大いにあったのだ。
そして海外では驚愕の電気自動車が1899年に登場している。それが、ローナーポルシェ。車名からもわかるように、かのフェルディナント・ポルシェ博士が作り出した電気自動車。
自社を設立する以前にローナー社で開発したもので、ただモーターを積んでいるのではなく、ホイールに装着。つまり現在も実用化を目指して開発が進む、インホイールモーターを採用しているのだ。
そんなクルマ、実用的ではなかったのだろうと思いきや、レースにまで出ているというから驚きだ。その後、ポルシェ博士は、エンジンで発電する電気自動車も開発。さらに戦車も電気で走らせようとするなど、かなり力を入れていた。