国産車にとってハードルの高かったニュルブルクリンクで鍛え上げた
そして、日産の901運動(「1990年代までに技術の世界一を目指す」運動)の集大成として、国産車で初めて、ドイツ・ニュルブルクリンクで本格的な開発テストを行い、市販車として当時のニュルの最速タイム、8分22秒38を記録したというのは、歴史的な快挙といえる。
一方で、ニュルでは、ブレーキが1/3周しかもたなかったなど、ブレーキの弱点が指摘されたが、それでも当時の最先端、四輪アルミ対向キャリパーを採用し、従来の国産車よりも何段階もブレーキに対する意識は高かった。ちなみに当時は、タイヤの扁平率が50%までしか認可されていなかったのも、ブレーキのキャパ不足に影響している。
マイナーチェンジで、Vスペックにブレンボ製ブレーキを採用したのもトピックだったし、VスペックⅡでは、解禁になった45タイヤ=245/45R17も装着している。
また、スポーツ走行に重点を置いた本格的に本革ステアリングや、セミバケットシートを純正パーツとして投入した功績も特筆できる。
さらに言えば、ニュルでのテスト、そしてグループAレースで、ハンドリングはボディ剛性で決まるということを気付かせてくれたのも、このR32GT-Rだった。
前出の伊藤修令氏は、「2年間はグループAレースで勝ち続ける」ことを開発目標に掲げていたが、結果として、R32GT-Rは、グループAレースで29戦29勝無敗。N1耐久レース32勝の金字塔を達成。
デビューからもうすぐ30年。さすがにパフォーマンス(経済学の使用価値)は、一線級とはいえなくなったが、そのブランド力と、実績と伝統に裏打ちされた物語性の共有(経済学の象徴価値)に関しては、R32GT-Rに並ぶクルマは出てきていない。
経済学のもうひとつの価値=交換価値に関しても、海外のオークションで700万とか1000万円のプライスがついたというのがニュースになったのは、記憶に新しいところ。
そういう意味で、今 のところ国産車史上、ナンバーワンの名車といっても、異論はないだろう。