ホンダと無限の関係は深いもののじつは資本関係は一切ない
M-TECの前身である、株式会社無限は、ホンダ直系のワークスチームではない。ホンダの創業者、本田宗一郎さんは、自社に親族を入社させないと決めていたのは有名な話。
そこで本田宗一郎さんの長男、本田博俊さんは、海外留学などの経験からそれまで日本になかったレース専用エンジンの開発・製作・販売を行う会社の設立を決意する。そうして、埼玉県朝霞市に1973年3月、株式会社無限を創設。
創設メンバーには、ホンダの第一期F1の主要メンバーで、のちに本田技研の4代目社長になる川本信彦さんも、ホンダの社員の身分のまま加わっていた。これは、川本さんが「レーシングエンジンの開発ができないのなら、ホンダを辞めてイギリスのコスワース社に転職したい」と辞表を提出したためだ。
川本さん以外にも定時までは本田技術研究所・和光研究所で仕事をし、アフターファイブ(?)に自主的に無限に通って、レーシングエンジン開発に携わった若き技術者は少なくない。第2期ホンダF1のエンジン設計者として有名な市田勝巳さんもその一人だった。
その無限の最初の製品は、シビックのエンジンがベースのFJ1300用のMF318エンジン。このエンジンはなんとデビュー戦で優勝する。以後国内のフォーミュラカー、ツーリングカーレースをはじめ、モトクロス&ロードレースなどの二輪のレース、レーシングカートなどにも参戦。F1でも4勝を記録するレーシングエンジンコンストラクターとなる。
2004年に無限のほぼすべての業務は、新会社M-TECに譲渡されるが、M-TECが開発したホンダ車用アフターパーツのブランドとして、「無限」の名称は引き継がれている。
創設時から、ホンダ車専用の二輪・四輪の競技用車両およびパーツ、レーシングエンジン、チューニング用のアフターパーツの製造、販売を行っているが、本田技研工業とは資本関係はなく、完全な別会社という立場を守っている。
近年は、自社チーム「TEAM MUGEN」としてスーパーフォーミュラに参戦し、スーパーGTにも、NSX CONCEPT-GT用の2リッター直列4気筒直噴ターボエンジン「HR-414E」を5チーム5台に供給。ゼッケン100チームクニミツのNSX CONCEPT-GTでは、車両メンテナンスとチームサポート担当している。