日産が100%出資したモータースポーツ専門の子会社
NISMO(ニスモ)とは、ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社の略称で、日産本社が100%出資で設立したモータースポーツ専門の子会社。いわゆるメーカー直系のワークスチーム。
1984年 9月に、日産本社の宣伝部大森分室(大森ワークス)と追浜工場特殊車両実験課(追浜ワークス)を母体とし、設立された。NISMO発足後の初勝利は、F3のレース。マシンは、NISMOチューンのFJ20エンジンを搭載したラルトRT30で、ドライバーは鈴木亜久里だった。
その翌年の第4回WEC(世界耐久選手権)ジャパンで、NISMOが開発したグループCカー、ニッサンR85Vが豪雨のレースを制し、星野一義が日本人初の世界選手権優勝ドライバーとなった。
その後も、グループC、グループA、JTCC、スーパーGTにも積極的に参戦。1992年には、シャシーエンジンともに日本製マシン、日本人ドライバー、日本人クルーによる、デイトナ24時間レース優勝という快挙も。また、シルビアやフェアレディZ、パルサーで、WRCなど国内外のラリーでも活躍している。
2012年 12月に、創業の地、大森を離れ、横浜市鶴見区へ移転。
・モータースポーツ用部品、車両の開発、製作及び販売
・レースでの技術支援
・モータースポーツプロモーションイベントの実施
・レーシングスクールの開催
などを、主な事業とし、NISMOチューンのコンプリートカーの製造・販売なども行っている。
毎年、年末に開催されるNISMO フェスティバルには、3万人以上のニッサン・レーシングファンが富士スピードウェイに集結する。