③ニッサン・シルビア(S13)
1988年にデビュー。「アート・フォース」というキャッチコピーで、ちょっとイタリアンなスタイリングに、淡いメタリックグリーンのイメージカラーがよくマッチしていた。
デートカーとも称されたが、AE86なき後、貴重なFRスポーツということで、硬派の日産ファンや走り屋からも支持された。その点で、デートカーのライバル、ホンダ・プレリュードとは一線を画していた。MT(マニュアルトランスミッション)率も高いクルマで、当時としてはシフトフィールのよさも評価されていた。リヤには新開発のマルチリンクサスペンションが採用されたが、フロントはストローク不足のストラットだったのが残念なところ。ターボモデルがあったこともあり、チューニングも盛んに行われた。30万台近く販売された大ヒットモデル。
④パイクカー
初代マーチをベースに、デザインありきで企画されたBe-1/パオ/フィガロの3兄弟。1985年のモーターショーにコンセプトカーとして登場し、話題沸騰。ちょっとレトロで、かわいらしさ、ユニークさ、珍しさを前面に出したところ、限定1万台を大きく上まわるオーダーが入り、抽選会に……。関連グッズが売られるほどの、人気車種となった。
「走りの日産」「技術の日産」らしからぬ遊び心が何よりの意外性だった。のちにパルサーをベースにした、商業車のエスカルゴも登場したが、こちらは今でもときどき街で見かける。
80年代、クルマがモデルチェンジするたびに高性能化していく最中に、「もうクルマに、これ以上の性能はいらない」という時代がくることを予見していたクルマだったのかもしれない!?
⑤スカイラインR32タイプM
GT-Rにばかりスポットが当たり、いささか影の薄い存在だが、GT-Rの名声は、このベース車(標準車)のタイプMがあってこそだ!
当時、日産開発陣が掲げていた「1990年までに走りにおいて世界一を狙う」=901活動の中心が、このR32スカイラインの開発で、具体的には、FRでは世界一のハンドリングとされたポルシェ944ターボに追いつき、追い越すのが目標だった。
その901活動の成果として生まれた、後輪駆動のスカイラインらしいスカイラインが、このR32のタイプM。「走りのスカイライン」復活は、このクルマの誕生で認知されたといっても過言ではない。
事実、走りのレベルは非常に高く、200万円台だったタイプMを買うか、450万円のGT-Rを買うかを真剣に悩む人は多かった。なかには、タイプMを買って、フロントグリルとリヤウイングを交換し、GT-Rルックで乗るユーザーもいたが、タイプMはタイプMで、とても完成度が高いクルマなので、誇り高く乗ってもらいたい一台なのだが……。
いまではめっきり街で見かけることも少なくなったが、ごく稀に、コンディションがよさそうな綺麗なタイプMを見かけると、うれしい気持ちで一杯になる。