速さはともかくサウンドは紛れもなくトップレベル
1975 BRM P201・Type P200 V12
1968 Cooper T86B – BRM V12(ごく初期的なBRM V12エンジンを搭載したモデル)
タイトルスポンサーだったマールボロがマクラーレンに去り、資金難で迎えた1974年だったが、BRMはブランニューのP201を用意してシーズンを戦うことになった。トニー・サウスゲートがシャドウに去ったために、かつて4輪駆動のBRM P67などを手掛けていたマイク・ピルビームがデザインを担当。ゴードン・マレーがデザインして一世を風靡したブラバムと同様、三角断面のモノコックをもつ、斬新なデザインが最大の特徴だった。
ただしスポンサーマネーの欠乏は如何ともし難かった。74年シーズンは、前年から残留したジャン-ピエール・ベルトワーズに加えてアンリ・ぺスカロロとフランソワ・ミゴールが加入し、フランス人ドライバー・トリオで戦うことになりフランスのモチュールがメインスポンサーとなったが、75年はチームを買い取った(再建を引き受けた)ルイス・スタンレイ卿の自己資金で細々と運営。
とてもマシンの熟成や戦闘力アップなどは望むべくもなかったのかもしれない。それでも67年に原形がマクラーレンに供給される格好で登場し着実に熟成されてきたV12エンジンのエキゾーストノートは、当時のF1GPにおいて間違いなく最高レベル。カン高いソプラノサウンドは聞いているだけで最高だった。
もっとも絶対的なスピードは、マクラーレンやティレルなどコスワースDFVのトップクラスのほうが、間違いなくそして遥かに速かったことが思い出される。75年オーストリアGPで撮影。