300km/hオーバーのチューニングマシンがしのぎを削った
1980~90年代のクルマ好きが、自動車雑誌を開いたときに、もっとも気にしていた記事がCARトップでもおなじみの「筑波サーキットのラップタイム」「ゼロヨンのタイム」、そして茨城県つくば市(旧谷田部町)にあった日本自動車研究所の高速周回路で行われた「最高速テスト」であろう。写真はスカイラインGT-R (BCNR33 2.7L T51S) 0-300km/h加速23.76sec(1996年)。
この高速周回路は、通称「谷田部のテストコース」あるいは「谷田部」と呼ばれ、新しいスポーツカーが登場するたびに、各媒体がゼロヨン、最高速を測定し、日進月歩の自動車技術の進歩にワクワクしていたものだ。
一方、チューニング雑誌主催の、国産チューニングカーによる最高速テストも盛んに行われ、1983年12月にHKSセリカM300が、国産車で初めて300km/hの大台を突破! これを機に、国産チューニングカーの最高速争いが加速していく。
写真はスカイラインGT-R BNR32(2.8L T45S)0-300km/h加速=26.37sec(1991年)とスープラ(JZA80 T51S)は、最高速 320+αkm/h 0-300㎞/h加速35.85sec(1994年)。
その舞台となったのが「谷田部」。
ここは1964年に日本で初めての本格的な高速周回路で、一周は5.5km。約1.5kmの2本の直線を、半径400mのコーナーで結んだ、オーバルコース。
その最大の特徴は、円曲線部最大角度45度のバンク。谷田部の高速周回路の設計速度は、180km/hで、バンク内も180km/hで走行していれば、ステアリングを直進状態にしたまま走れた(逆に言えば、180km/h以下で走るときは、コーナーのアウト側にステアリングを切らないと、バンクからずれ落ちてきてしまう)。
写真は、国産チューニングカーで初めて200マイルをオーバーした、HKS関西サービス(現kansaiサービス)のSOARER MZ20 改 3.1L TO4E TWIN / 323.159km/h(1988年)。