モノコックを一新し低重心を極めラバー・スプリングを本格採用
1975 Hesketh 308C・Ford Cosworth DFV
ハーベイ・ポスルスウェイトとへスケス・レーシングは、1975年シーズン後半に向け、308Bのさらなるアップデートを図ることになった。いや、アップデートというよりはフルモデルチェンジともいうべき大変更で、ブランニューのF1マシンを誕生させている。
それが308C。モノコックはより薄く(ハイトが低く)一新され、剛性アップと低重心化が追求されている。さらに308Bで注目を浴びたラバー・スプリングをリヤサスペンションにも採用。サイドマウントのラジエターと比べると、モノコックの薄さ(ハイトの低さ)は明らか。
さらに扁平な燃料タンクを備えることにより低重心化がいっそう強調されることに。75年シーズン第8戦のオランダGPでハントとヘスケス・レーシングに初優勝をもたらしている。2016年のフェスティバルofスピードで撮影。
ヘスケス卿の野望も絶たれ最後は身売りでF1GPから撤退
1976 Hesketh 308D・Ford Cosworth DFV
初優勝を飾った前年とは一転、1976年シーズンのヘスケス・レーシングは、苦しいシーズンを送ることになる。そもそもスポンサーに頼らず、活動予算をヘスケス卿が自ら受け継いだ遺産のなかから捻出していたのがチームの活動コンセプト、いや存在意義というべきか……。
やはりそれでは満足な活動は不可能だったようだ。ともかく、この76年シーズンはジェームス・ハントがマクラーレンに去り、スポンサーをもち込んだハラルド・アートルとガイ・エドワーズがドライバーとなった。
マシンは308Cをアップデートした308Dへとコンバートされたが、メカニズム以上にスポンサーカラーによってイメージが一新されている。
とくに、男性誌のペントハウスとタバコ巻紙のブランドとして知られるリズラがスポンサーとなったエドワーズ車は、色っぽいお姐さんがリズラのパッケージをもって微笑む図柄でまるで昨今の痛車だ。2016年にドニントンGPコレクションで撮影。